しば塾の世界史日記

世界史についていろいろ書いていこうと思います。

世界一経済発展をしていながら隣国に国土のほとんどを領有権主張されている国

何度か言った気がするんですけど、私の持論として「仲のいい隣国同士というのはあり得ない」ってのがあるんですね。だってあれだけ近くにいるのに同じ国になれないということはよっぽど何かしらの確執があったり文化の違いが存在するので仲が悪いから別の国になっていると思うんですよ、まあそれはともかく隣国同士の仲が悪い原因の一つとして様々な衝突がありますがその中でも特に代表的なものとして挙げられるのが領土問題です。

かくいう我が国も韓国との間に竹島、中国との間に尖閣諸島、ロシアとの間に北方領土といった領土問題を抱えてますし国境を接している国同士で国境問題の存在しない地域はないと言っても過言ではないでしょう(一部のヨーロッパみたいに国境の往来が自由な地域は話がまた違うでしょうが)

さて領土問題というと基本的に国境付近の地域、島や村なんかが争われていてたとえ面積だけを見ると広くても当事者同士から見たら国土の一部でしかないとのイメージを皆さんお持ちでしょうし実際大抵の場合はそうです。ところが世界には国土のほとんどを隣国によって自国の領土だと主張されている国があります、こう聞くとロシアとウクライナのことかなと思うでしょうがそんなものの比ではない規模です。

というわけで今回はベネズエラガイアナの国境問題について書いていこうと思います。

ガイアナ

今回の舞台となる主な国は南米にあるガイアナという国です、

(ガイアナ)

南米大陸の北部に存在するこの国は南米の国にしては珍しくというか唯一英語が公用語の国です、これはこの国がかつてイギリスの植民地であったことに由来します。また人種面で見ても他の南米諸国と比べると変わっていてこの国は国民の実に4割以上がインド系で最大民族となっています、これは植民地時代にインド人を労働者として移入したからですがその結果宗教面でも最大の宗教がヒンズー教となっているなど南米の国にしてはかなりユニークな存在となっています。そんなガイアナは近年後述する理由から世界で一番経済成長をしている国となっています、ですがこの国の面積は約21万5000㎢と北海道約3個分ほどですが、その国土の3分の2に当たる15万㎢を隣国ベネズエラによる領有権の主張がなされており国土の3分の2が領有権争いの係争地となっている世界でも唯一無二の領土問題を抱えています。

(オレンジがベネズエラ、薄い緑が係争地)

ロシアでさえ周辺国に対してここまで割合の大きな領有権問題をふっかけていません、では一体なぜベネズエラガイアナはここまで規模の大きな領有権争いを抱えているのでしょうか?

領有権問題の発端

結論から先に言うとこの領有権問題は植民地時代に国境が不明瞭だったことに起因します、ガイアナは元々オランダの植民地でしたがナポレオン戦争を経てイギリスの植民地になります。そしてこの時スペインの植民地であった後のベネズエラとなる地域の境目は書面上ではエセキボ川となっていました。

(エセキボ川)

しかしこの地域は現在でも未開のジャングルがあるような辺鄙な場所でありスペインの統治はあまり及んでおらずそのため実際にはオランダ領時代から植民地はこの川を跨いで領土となってました。そんな中南米ではナポレオン戦争後にスペインの統治に反対する現地人が独立戦争を起こしスペインの植民地であったベネズエラもまたこの時期に独立を果たします、しかしベネズエラは独立後も政権内での争いが生じ混乱しているような状況が続きます。

そんな中イギリスはその隙に国境が不明確な地点で領土を拡大させていき1840年代には今のガイアナと同じ国境線を一方的に引きます。とはいえこの当時は全く問題になりませんでした、元々この地域は国境が不明確だった上にジャングルが広がる未開の地でありベネズエラとしても半分どうでもよかったのです。

(ガイアナの人口分布、エセキボ川を境に人口が減っているのがわかる)


ところが1876年にこの地域で金が発見されると領有権問題として浮かび上がります。

グアヤナ・エセキバ問題

金が発見されてからベネズエラはエセキボ川以西の地域の領有権を主張し始めます、そして1899年には憲法でこれらの地域の領有を明確に記したためイギリスとの外交問題になりました。この地域はスペイン語でグアヤナ・エセキバと呼ばれるのでそのままグアヤナ・エセキバ問題と言われてます。ベネズエラモンロー主義を掲げ中南米への不介入をヨーロッパ諸国に強く要望していたアメリカの力を借りようとしますが、アメリカはベネズエラのためにイギリスを相手に交渉するほど関心を示さなかった結果アメリカはイギリスの主張をおおむね認めてしまいベネズエラはそれに反発して従わなかったため争いが続くこととなってしまいます。

その後1950年代にはベネズエラがこれらの地域を買収しようとしますがベネズエラでクーデターが起きたために失敗し、1962年には国連でこの問題の提出をしますが解決されず。結局一向に解決しないままついに1966年、イギリス領であったこの地域はガイアナとして独立することとなってしまいました。しかしベネズエラは独立後もこの地域への領有権主張を続け、結果ガイアナは国土の3分の2が隣国によって領有権が主張されている世界でも類を見ない国となりました。

一応独立する際にイギリス、ガイアナベネズエラの3者はジュネーブ協定と呼ばれる協定を結びベネズエラガイアナのの独立を認める代わりにグアヤナ・エセキバで領有権問題があることを双方が認め、平和的に解決していくことを決めましたが独立早々ベネズエラはこの地域にある小島に軍隊を派遣し占領してしまいその後も度々軍事衝突を起こしてしまいます。

ところで話が少しズレますが皆さんは人民寺院という単語を聞いたことがあるでしょうか?これは何かというとアメリカ発祥のカルト宗教で信者で作られた独自の村がありましたが、1978年に教祖の指示の下信者の多くが村の中で集団自殺したことで世界的に有名になりオウム真理教と並ぶようなカルト宗教の代表として扱われています。実はこの宗教の集団自殺が行われた村はこのグアヤナ・エセキバ地域にあったのです、なぜ人民寺院がこの地に村を作ったのかというと人民寺院は当時すでにアメリカでも社会問題となっていたので早急に国外への移転を目指していましたが、その際にアメリカから比較的近く、犯罪者の引き渡し条項がなくなおかつ英語が公用語の国としてガイアナに白羽の矢が立ちそしてガイアナ政府との交渉の結果この地域になったのです。

(人民寺院の作った村、ジョーンズタウン)

ちなみにガイアナ政府がなぜこんなカルト宗教の拠点が作られるのを認めたのかというと、これもひどい話ですがベネズエラを牽制するためでした。人民寺院の信者はこれでもアメリカ国籍を持っているので万が一ベネズエラがグアヤナ・エセキバ地域に侵攻した場合彼らは当然巻き込まれます、そうなるとアメリカが介入してくるのは明らかなのでベネズエラとしてはそうした状況を嫌がり侵攻を防止できると考えたのです。そのためガイアナ政府は人民寺院の不介入の要望を聞き入れていてこれが集団自殺の悲劇を未然に防げない結果を招いたのです。

さて話がそれましたが流石に21世紀に入るとベネズエラの方でもこの領土問題を解決するのが非現実的であることから解決を目指そうとし、丁度ベネズエラで新たに大統領となったウゴ・チャベスは尊敬するキューバの指導者であるフィデェル・カストロからこの問題の解決を勧められたことで迅速な解決を目指そうと交渉を開始しました。

しかしこの地域でまたしても資源が発見されてしまい再び対立が激化します。

領土問題の現在

2013年ガイアナでは石油が見つかり当然国土の多くを占めるグアヤナ・エセキバ地域でも豊富な石油資源が見つかります、とはいえ隣国のベネズエラも石油埋蔵量ではサウジアラビアを抜いて世界一の国なのでまあ納得はできるでしょう。

そしてこの領土問題が金が見つかったことで始まったように石油資源の発見以降ベネズエラはこの地域への領有権を強硬に主張するようになり対立が激化します、そして2013年にガイアナ沖で石油の調査をしていた船を「ベネズエラへの不法な侵入」の容疑で拘束してしまいます、これに対抗してガイアナは2015年にアメリカの石油会社エクソンにグアヤナ・エセキバ地域での石油採掘権を与えます。これにベネズエラは猛反発し一触即発の事態となってしまいました、その後2018年に国連が介入し国際司法裁判所での解決を提案しますがガイアナは歓迎した一方ベネズエラはこれを拒否します。

その後ベネズエラでは政治的混乱が続き野党勢力が大統領を立て国に2人大統領がいる状態となります、しかしこの野党勢力もグアヤナ・エセキバ地域への領有権を主張しているのでこの問題が深刻であることがわかります。

領土問題の今後

この領土問題がこれからどうなるかは分かりません、しかも厄介なのが当事者の未来の展望が真逆であるという点です。ベネズエラは石油埋蔵量が世界一の国でありながら優秀な技術を持つ外国企業を追い出したり、石油での利益を国民への過度なばら撒きに使ったりして経済が完全に崩壊し、政治的には独裁政権がある一方それに反発する野党勢力も一定の勢力を持っていて独裁政権は中国とロシアの支援でなんとか持ちこたえようとしている一方野党勢力アメリカなどの支援を受けて奪権を狙っています。そしてこんな不安定な状況のため国民の内実に1割以上が難民として国外に脱出しているなど国家として崩壊寸前の状況です。

一方でこれと対照的にガイアナは石油などの資源の発見で大きな経済成長をしておりこれまで南米で2番目に貧しかったこの国は石油が本格的に開発された2019年から極めて大きな経済発展を遂げ2019年から2021年のGDP伸び率は72%、2022年の予想は48%、2023年の予想は34%となっていて世界で一番経済発展をしている国となっています。しかもガイアナ政府はこうした石油での利益を学校教育や医療への投資に使う計画をしているのでこのままいけば近年の原油高も作用し、南米一豊かな国になることも夢じゃありません。

(ガイアナの経済成長、他の国を大きく引き離している)

そうなるとこの領土問題は厄介なことになります、ベネズエラからすれば自分達が経済難で苦しんでいるのにガイアナが発展しているのは非常に面白いことではありません。ましてや自国が領土を主張している地域の資源で発展しているわけですから自分達が貧しいのはガイアナが資源を奪っているからだと逆恨みしかねません。実際にはベネズエラの方が石油資源が豊かで貧しいのは資源活用に失敗した事実があってもです、

(世界の原油埋蔵量と生産量の上位国)

おまけにベネズエラの野党も独裁政権も領土問題で国をまとめようとしている風潮があり、実際2021年に行われた両者の会談で初めて合意事項ができたのですがそれが「グアヤナ・エセキバ問題で協力して対応する」でした。今後どっちが政権を握って国を再建するかはわかりませんが国民をまとめるか豊かになったガイアナを支配するなどの理由で戦争になることも十分考えられるでしょう。

日本は資源があまりないので資源国を羨みますが、一方でこうした資源が豊かな地域で争いが繰り返されているのを見ると資源国だからといっていいことばかりではないのだなと感じます。それでは今回はここまで、また次回。

ヨーロッパの分断国家

皆さんは山田悠介氏の書いた「ニホンブンレツ」という作品をご存知ですか?これはざっくりいえば日本がある日政治的事情から東西に分裂してからしばらく経ったある日西日本出身で分裂後の東日本に住む主人公が恋人を探すために西日本に潜入するって作品です。私はこの作品を高校生か中学生の時に友人に勧められて読んだことがあるんですが日本が分裂する理由(すごく小さくてくだらない)と分裂してからの描写(国境全体に鉄の壁が建つとか)があまりにも滅茶苦茶でそこだけすごく良く覚えてあとはあまり覚えてないんですよね、他にも政治情勢とか社会情勢でツッコミどころは満載なんですが作品を読んでいる間はあまり違和感を感じさせないのはさすがだと思います。

それはおいといて現実の世界では様々な理由で元々1つの国だったのに別々の国になった例が幾つもあります、有名なのは朝鮮半島とか中国なんかですが今回は比較的マイナーなやつを紹介していきたいと思います。

1北キプロスキプロス

まず紹介するのはヨーロッパに浮かぶ島国であるキプロスです、この国は現在南部にキプロス共和国、北部に北キプロス共和国が存在している状態です。

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(北部が北キプロス、南部がキプロス、青が国連の設置した緩衝地帯、緑がイギリス軍基地の土地)

キプロスは美の女神ビーナスの誕生地とされる浜があるなど古代ギリシャの時代からギリシャ人が多く居住しギリシャの一部と呼んでも過言ではない場所でした、そんな状況が変わるのがオスマン帝国による統治が始まった頃です。オスマン帝国の統治下で多くのトルコ人キプロスに移住しまたギリシャ人であるキプロスの住民の中にもイスラム教に改宗しムスリムになる人が出てきます、とはいえこの頃はまだ民族間の対立は起きていませんでした。その後キプロス島オスマン帝国からイギリスに持ち主が代わりますがやはり民族対立は起こりませんでした。

民族間の対立が表面化するのはイギリスから独立するかどうかという時です、多数派であったギリシャ系のキプロス住民はキプロス全土のギリシャへの帰属を希望しました。しかし少数派とはいえそれなりの数居住していたトルコ系住民はその提案に反対しむしろトルコへの帰属を主張し対立してしまいます、結局この対立はトルコとギリシャ、イギリスが協議した結果キプロスをどの国にも帰属しない独立国とすることで決着をつけ1960年に独立しました。

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(キプロスの旗)

こうして成立したキプロスですが1974年に軍事クーデターが発生しギリシャ併合強硬派が権力を取ります、すると不安感を覚えたトルコ系住民はトルコに軍の派遣を依頼しトルコはキプロスの北半分を占領します。そして南部のトルコ系住民は北部に逃げ北部のギリシャ系住民は南部に逃げたことで分断は固定化し翌年北部のトルコ系住民はトルコ支援の下北キプロス・トルコ共和国を建国します、当然承認国はトルコ1カ国のみのトルコの傀儡国です。

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(北キプロスの旗、トルコそっくりである)

その後きた北キプロスは度々南側に南北連邦制での統合を主張してますが人口比で勝る南側はこれを拒否し分断前の状態にすることを主張しているので未だに分断されたままです、とはいえ統合に向けた協議は進んでいますし何より南キプロスEUに加盟したことで北もその恩恵を受けたいという考えや、宗主国のトルコもEUから加盟への条件としてキプロス問題の解決を求められているのでまた統合できる可能性は大いにありえるでしょう。

ちなみに一番上の地図だと緑色に塗られた英軍基地がやたら大きな面積を保有していてさながら第三勢力のようになってますが、イギリスは南北両政府の度重なる撤退要請を拒否して駐留し続けています。そしてこれまたややこしいことに北部の軍事基地だけは現在イギリスの影響下にありません、なぜなら北キプロス軍がイギリス軍を追い出し不法占拠したからです。つまりキプロスにはキプロス北キプロスとイギリス軍基地と北キプロスが不法占拠しているイギリス軍基地があるわけです。

2チェコとスロバキア

さてキプロス北キプロスは元々一つの国だったとこで住民間の対立が発生し、それに外部勢力が介入して起こった分断ですが、次に紹介するのは外部勢力の思惑で無理やり一つにされた後争うことなく分かれたという例です。それが東欧に位置するチェコスロバキアです、分裂前のこの国はチェコスロバキアと呼ばれ体操大国として日本では有名な国でした。

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(チェコスロバキアの旗、分離後のチェコも同じ旗を使ってる)

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(スロバキアの旗)

この国は第一次世界大戦オーストリアハンガリー二重帝国の崩壊と共に成立した東欧の国々の一つです、一応これらの国々は表向きは民族自決の理念に則って独立を認められた地域ですが民族分布と国境がかなり一致してない上にチェコスロバキアユーゴスラビアのように異なる民族をくっつけた国があったりと本当に民族自決の理念に則ったのか怪しい国家群となってます。

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(当時の国境と民族分布)

これはある意味当然でというのもこれら東欧の国々はソ連に対する防波堤とドイツの再興阻止のために少しでも強力な国にすべく作られたからです、一番分かりやすいのがポーランドで海への出口を得るためとドイツを分断するためポーランド回廊と呼ばれる不自然な地域を得ています。

チェコスロバキアもこの例に漏れず多少でも強国となるためにチェコスロバキアが合体した地域です、チェコ人とスロバキア人はたしかに言語や民族のルーツで近い民族ですがチェコが伝統的に工業地帯であったのに対しスロバキアは農業地帯であったのでそこら辺から来る違いがありました、例えばチェコは無神教者が多いですがスロバキアカトリックを信仰する人が多いなどです。東欧の中小国建国を支援した列強としては工業国と農業国を一緒にすることで工業も農業も強い国を作りたかったみたいですが、工業と農業では経済的な収益が全く違うためチェコ地域とスロバキア地域では経済的に大きな格差が存在していました、それらが分裂の原因になったと言えます。

チェコスロバキア第二次世界大戦ソ連の影響下に置かれ、その間は両地域の民族対立は表面化していませんでしたがこの頃から首都であるプラハが置かれたチェコ地域に権限が集中していることに対する不満が燻っていました。そして社会主義政権が冷戦の崩壊と共に集結すると両者はいよいよ対立し始めます、経済が資本主義経済に戻ると工業地帯のチェコは栄える一方農業地帯のスロバキアの伸びはイマイチになりますチェコスロバキア政府はスロバキア地域の経済をなんとかしようと様々な政策を行いますが。次第にチェコスロバキアのことを経済発展の妨げになると思いスロバキアチェコの事を口うるさく思いようになり余計な口出しが経済発展の妨げになると思うようになったので1993年ついに両国は別々の国として歩みます。

分裂後の両国は面白いことに同じ国であった時よりもずっと良好な関係を築いていて今や世界でも類を見ないほど中の良い隣国同士になっています、同じ国として歩もうとするとどうしても言語や文化の差で相容れなくても違う国なら割り切ることができてそんなの気にせずに済むからでしょう。ちなみに両国とも経済発展を期待して分離しましたがチェコ側には正直全く効果はありませんでした、ですがスロバキアは近年自動車産業を中心に工業化が進み、チェコスロバキアの経済的な差は以前ほどなくなっています。このためチェコスロバキアは同じEU加盟国として、同じ歴史を共に歩んだ仲として、同じ生活水準を共にする国として余計近い国となったのでそれも両国の関係が良くなった原因だと思います。

分裂に一切の争いがなく分裂後のほうが関係がいいなんてなんとも面白い話ですね。

3ルーマニアモルドバ

さて本当は他にも紹介したい国々はあるのですが長さの都合上これを最後のしようと思います、というわけで次に紹介するのはやはり東欧に位置する国ルーマニアモルドバです。

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(ルーマニアモルドバの位置関係)

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(ルーマニアの国旗、某宗教団体の旗と微妙に似ているが無関係である)

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(モルドバの国旗、ルーマニアとそっくりである)

ルーマニアモルドバは共にルーマニア人が多数派の国であり実際同じ国であった時期もあります、ルーマニアは歴史的に3つの地域トランシルヴァニアモルダヴィア、ワラキアに分けられます。

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(現在の国境の範囲なので地図では別だがモルドバもまたモルダヴィア地域に含まれる)

この3つの地域はどれも17世紀までオスマン帝国に支配されていました、ですがトランシルヴァニアは18世紀にハプスブルク家領にモルダヴィアの内東半分、ベッサラビアと呼ばれる現在のモルドバとその南の現在はウクライナ領の黒海沿岸部の地域は1812年にロシアに帝国に割譲され、ルーマニア人が居住する地域は3つの国に分けられました。

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(ベッサラビアの位置)

その後1878年露土戦争講和条約であるベルリン条約でオスマン帝国領だったワラキアとモルダヴィアの半分を合わせた地域がルーマニア王国として独立を果たします。

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(独立当時のルーマニア)

その後第一次世界大戦が集結しハプスブルク家の統治していたオーストリアハンガリー二重帝国とロシア帝国が崩壊するとポーランドチェコスロバキアと同じく民族自決という名の下東欧にある程度強い国を作るためルーマニアトランシルヴァニアモルダヴィアの領有を認められその領土は一気に拡大します。

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(第一次世界大戦後から1939年までのルーマニア領)

しかし1939年に第二次世界大戦が始まるとソ連独ソ不可侵条約ナチスと決めた勢力圏に基づきベッサラビアの割譲をルーマニアに迫る最後通牒を通告します、ソ連との戦争に勝ち目を感じなかったルーマニアは要求をのみ領土を譲ります。その後第二次世界大戦ではルーマニアは枢軸国入りを強要された上同じ枢軸国のハンガリートランシルヴァニアを奪われるなど苦難が続きます、その後ソ連の侵攻を受けてルーマニア社会主義政権になりハンガリーから奪われた領土は取り戻せましたがベッサラビアは取り戻せずソ連は当地にモルドバ社会主義共和国を作りソ連の構成国にします。

こうしてソ連の一部となったモルドバですがソ連統治下ではかなりの困難な時代を経験しました、例えば宗教は徹底的な迫害を受けましたし半ば意図的な飢饉を引き起こして餓死者を出したり反ソ的と断定された多くの人々の財産を没収した上で国外追放するなどしました。またルーマニア人としてのアイディンティティを否定され「同じ言語を話していて同じ文化を共有していても同じ民族とは必ずしも言えない」という謎の理論に基づきルーマニア人とモルドバ人は別な民族だとされ、その上でルーマニア語の表記をラテン文字からキリル文字にするなどモルドバをスラブ化させることでルーマニアとの文化的な断絶を作ろうとしました。これにらに加えて労働力として多くのロシア人やウクライナ人を送り込み現地の民族構成を変えるなどソ連当局のモルドバソ連化計画は多方面でなされます。

一方でモルドバ人はこうした動きにおとなしく従っていたわけでなく水面下で反ソ組織が多数作られその活動は反ソ出版物の制定からデモなどの抗議活動、ソ連からの独立を目指す政党の政治活動といった平和的な活動だけでなく警察や軍人、政府要人を狙ったテロ活動や武装蜂起など幅広い活動がなされました。そして1991年ソ連の崩壊と共に同国は独立を果たします、そして独立すると早速ルーマニアとの再統合を検討する様になりますがロシア語話者が多いトランスリストニア地域がルーマニアとの統合に反対し沿ドニエストル共和国として独立を宣言し内戦の末事実上独立するなど独立早々一悶着がありました。

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(沿ドニエストル共和国の位置)

しかし1994年にルーマニアとの統合を問う住民投票が行われると圧倒的多数で否決されてしまいます、この要因としてはもちろん沿ドニエストル共和国問題やソ連時代のルーマニアとの分断政策で断絶が起きたというのもあるでしょうがやはり大きな原因はソ連時代の抵抗を通じてモルドバ人に自国に対する愛着が湧いたからでしょう。

先にも書いた通りモルドバソ連編入されてから実に50年近く過酷な統治に晒され多くの死者や追放者を出し文化も徹底的に破壊されました、しかしモルドバ人はそれに対し国際的な支援など一切ない中めげずに抵抗をし続けついに独立を果たしました。その過程の中でモルドバの人々にとって自分達の国に対する愛着が湧いたのは間違いないでしょうし、ルーマニアは確かに近い国ではありますがルーマニアと統合することでせっかく得た独立を放棄するのが忍びなかったのも理解できます。結局ルーマニアモルドバは統合されることなく極めて近い隣国として友好関係を築きながら存在しています、もちろんお互い統合しようと主張する人は一定数いますが面白いことにモルドバの方がその割合はずっと小さいです。モルドバはヨーロッパ第2位の貧困国であり、ルーマニアEU加盟国であるのでルーマニアと統合すれば経済状況はあっという間に良くなるはずです、しかし経済よりも大切なものがモルドバにはあるのでしょう。

さてここまで様々な分かれた国家を見てきましたがいかがでしたでしょうか?このように国が2つに分かれるのは悲劇がある時も有ればお互い納得しより良い関係を築くためだったりと実に様々です。こうした国々は他にも色々あるので今後も紹介していこうと思います、それでは今回はここまでまた次回。

エデンの園はどこにある?聖書の記述と実際の歴史。

私実は小さい頃キリスト教系の幼稚園に通っていたんですよ、幼稚園では当然キリスト教の神話に関することは飽きるほど聞きましたしそれと世界には自分たちと違って恵まれない子どもたちもいるみたいな話を餓死寸前なのに寄生虫でお腹が膨れている子ども達の写真集を見せられながら聞かされていました。とはいえ小さい頃の私にはイエス様のありがたい教えとか世界の貧富の差みたいな難しい話が分かるわけもなく、エデンの園とかノアの方舟とかみたいな簡単な神話に心惹かれていました。そして小さな頃の私はいつかエデンの園を見つけ出して行きたいなんてことを考えていましたね、というわけで今回はそれに関連する話について書いて行きたいと思います。

エデンの園はどこにある?

さて私の小さい頃の夢はエデンの園に行くことだと書きましたが、聖書に記述されているエデンの園は一体どこに存在するのでしょうか?聖書によるとエデンの園はなんでも遥か東に存在し(どこから見て東なのかは書いてない)4つの大河が流れ出てたとされています。その4つとはピジョン、ギホン、ヒデケル、そしてユーフラテスです、ユーフラテスはあのメソポタミア文明と深い関わりのある有名な川ですが他の3本は全く聞いたことのない川だと思います、とはいえその内ヒデケルはチグリス川であることがわかっています。つまり残り2本の川が何かわかればエデンの園の場所がわかりますし、そうでなくてもユーフラテス川とチグリス川の位置から大体推測することができます。なのでこれらをもとにエデンの園の位置は2つの説にまとめられています。

アルメニア

ユダヤ教キリスト教エデンの園の場所として伝えられているのがアルメニアの首都であるエレバンという街です。

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(エレバンの位置と写真)

この街は以下の理由からエデンの園が位置していた場所だと言われています

チグリス・ユーフラテス川の水源地である

ノアの方舟伝説と関連しているアララト山の近くである

・ローマやエルサレムから見て東にある

この街はチグリス川とユーフラテス川の水源地であるだけでなく聖書にノアの方舟がたどり着いたとされているアララト山が近くに存在しているからエデンの園の場所として伝えられました、加えてユダヤ教の中心であるパレスチナキリスト教の中心であるヨーロッパから見て東に位置するのもこの説を補強することになりました。

ですが正直ここがあの聖書に描かれた楽園だと言われてもイメージと違うと思う人がほとんどでしょう、またエデンの園がここであるとされる根拠であるアララト山の存在ですが実は現在アララト山と言われている山と聖書に出ているアララト山は全くの別物なのです。12世紀にヨーロッパ人が現在の雄大アララト山を見て「この山こそがきっと聖書に描かれたアララト山だろう。」として名付けたのが現在の名称の由来でありエレバンの近くに存在するアララト山が聖書に出てくるアララト山と同じだという根拠は一切無いのです。その上残り2本の川が存在しないことから本当にエデンの園エレバンに存在していたのかは大いに疑問です、なので近年は違った説が提唱されています。

ペルシア湾

もう一つの説はかつてペルシア湾に存在していたのではないかという説です、この説によるとかつて氷河期海面が今より低い頃のペルシア湾には巨大な陸地が存在していてそれがエデンの園であるというものです。

この説の根拠としては残り2本の川の存在と神話との整合性です、エデンの園から流れ出ていた残り2本の川がどこを流れていたのかはちゃんと記述がありそれによるとピジョンアラビア半島を、ギボンはクシュを流れていたそうです。クシュは現在のエチオピアなのでかつてギボンはナイル川なのだと言われていました、ですがどうやら旧約聖書に出てくるクシュはエチオピアだけでなくイラン北西部でもあるらしいのでこの4本の川はかなり近い場所に位置していたと思われます。

そして今では今より海面が低かった氷河期ペルシア湾は陸地に覆われておりこの仮に残り2本の川が実在していたのならこの4本の川は今は海の底に存在するペルシャ湾にあった地で合流していた可能性が高いです。聖書の記述ではエデンの園が上流であるかのように書かれていますが数千年前の曖昧な表現が元なんでここら辺のズレはしょうがないでしょう、というわけでエデンの園ペルシア湾に存在していたという説が近年では注目されています。

神話との整合性

エデンの園ペルシア湾にあった場合聖書に出てくる神話と合致することが多いのもこの説を補強することとなっています、聖書では人間が楽園から追放されてしまいますがこれはいうまでもなくこれは海面上昇でペルシア湾が海になり陸地が失われたことでしょうしまたノアの方舟の話とも関連していると言われています。

通常の海面上昇は数年や数十年単位で行われるでしょうがペルシア湾の場合は他の地域と比較すると比較的早く起こったと言われています、というのもペルシア湾は入り口の海抜が浅くなっていて陸地だった頃は巨大な盆地でした。なので世界中で海面上昇が起きる中本来沈むような海面になっても入り口が防潮堤のようになって海水の侵入を抑えていました、そして海水がペルシア湾の入り口を越えた瞬間他の海面上昇が起こった地域と比べるとあっという間に沈んでしまったのです。

これは聖書に出てくる楽園追放やノアの方舟の物語のモデルとなったのではないでしょうか?海面上昇で陸地がなくなり住処を追われたのが楽園追放で、海面上昇による大洪水がノアの方舟というわけです。もちろん神話と現実を一緒にしてはいけませんが神話というのは必ずモデルになった出来事が存在しているので、当然先程あげた2つの物語も例外ではなくそう考えた場合エデンの園ペルシア湾になったという説は非常に辻褄が合うのです。

楽園追放と農業

ところでちょっと話がそれます、が聖書の神話でもう一つ個人的に実際の歴史と関連があると思うのが楽園追放後に関する話です。聖書によると神は楽園から追放したアダムとイブに2つの罰を与えました、これは今後生まれてくる人間にも適用されるものですが女性の場合は出産時の苦しみで男性の場合は労働の苦しみ、より正確には食べ物を得る際に汗水を流して労働しなければならないというものです。

そして前者はともかく後者の話は現実で起こった歴史と関連している可能性が高いのです、人間が農業を始めたのは今から一万年前のメソポタミア地方でここからさらに数千年かけて文明が発展していくわけですが、そもそも人間はよく言われているように安定した生活を求めて農業を始めたのではなくむしろ追い詰められてやむを得ず農業を始めたと言われています。

というのも農業は狩猟や採集と言った農業以前の生活方法と比べると非常に効率が悪いのです、よく考えたらわかることですが一年のの多くを農作業に費やさないと食料を得られない農業とたまに獲物が取れれば良い狩猟採集なら後者の方が絶対楽です。しかもこの時代の農耕民の食事は3食基本的に発酵してないパンと原始的なビールだけであり肉や果物など豊かな食生活を送っていた狩猟採取民との間では生活水準から見ても格差がありました。つまり初期の農業とは手間がかかる上に生活水準を落とさなければならないものだったわけですがそれでもかかわらずメソポタミア地方の人間が農業を始めたのは追い詰められていたからです、メソポタミア地方は当時世界で最も狩猟採集生活を送る上で理想的な場所であり縄文時代の日本と並んで世界でも数少ない狩猟採集民が定住していた場所でした。

しかしそんな彼らは追い詰められてしまい楽な狩猟採集をやめて辛い農業を始めます、追い詰められた原因はいくつか説があり定かではないもののペルシア湾にあった陸地が沈んだような大幅な気温の変化によって(寒冷化か温暖化は意見が割れる)あるいは単に狩すぎによって獲物の数が大幅に減った、もしくは気候に恵まれすぎて人口が必要以上に増えてしまったことにより狩猟採集では人口を賄いきれなくなり農業を始めたと言われています。

そして農業の恐ろしいところは一度始めてしまうとよっぽどの理由がない限り止めるのが難しいという点です、というのも農業は食料を得る手段としては手間がかかるものの狩猟採集では不可能なほどの食料を得ることができます。なのでたとえ追い詰められて農業を始めても食料は狩猟採集より増え人口が爆発的に増大します、その結果従来の狩猟採取では到底養いきれないほどの人口になってしまうのです。つまり一度でも農業を始めたらまた楽な狩猟採集生活に戻るのは不可能になってしまい永久に汗水垂らして食料を得るほか無いのです。

こうして見てみると聖書における楽園追放とは狩猟採取と言う楽な生活を送っていた人類が農業と言う過酷な方法で生活せざるを得なかった歴史を寓話的に表していると言えるのでは無いでしょうか?もちろんこれは神話と現実の歴史で起こっていたかもしれないことを無理やりこじつけただけですが、神話は現実で起こったことを基に作られている物なので現実の歴史と一致する要素が出てくるのは決してありえない話では無いと思います。

最後に

と言うわけでここまで聖書に関する話を書いてきましたがいかがでしたでしょうか?聖書に関連する話はまだあるんで今後書こうと思います、と言うわけで今回はここまでですそれではまた次回。

遊戯王と古代エジプト、闇遊戯のモデルになったファラオは誰か?なぜ闇遊戯は現世に留まっていたのか?

以前遊戯王の神のカードに関して書きましたがあれが意外と反響あったので今回もまた遊戯王に関することを書いていきたいと思います。さて遊戯王という作品を全く知らない方はこの漫画のことをカードゲームの漫画だと思っているでしょうがこの作品は単なるカードゲームの漫画ではありません、遊戯王の主人公は武藤遊戯と彼の第二の人格である闇遊戯と呼ばれている存在ですがこの闇遊戯はかつてとある事情で自分の名前と記憶を失った古代エジプトのファラオでありそして遊戯王全体としてはこの失った名前と記憶を取り戻すまでの戦いを描いているのです。さてここまで遊戯王のストーリーの大まかな解説をしましたがではこのファラオには実在するモデルとなった人物がいることをご存知でしょうか?また実はこれ以外にも遊戯王古代エジプトの史実をモチーフにしているであろうストーリー展開が結構されています、というわけで今回はこれについて書いていきます。(※一応作品のネタバレに繋がることを書いているのでまだ遊戯王を見たことがない人はブラウザバックを推奨します)

ツタンカーメンとアテム

遊戯王の主人公武藤遊戯の第二の人格である闇遊戯が実は古代エジプトのファラオであることをさっき書きましたがこのファラオの名前がアテムです、そしてこのアテムのモデルとなったであろうファラオがあの黄金のマスクで有名なツタンカーメンです。

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アテムが古代エジプトのどの時代のファラオであったのか実はちゃんとした公式設定がありそれによると第18王朝(紀元前1570年から紀元前1293年まで)という時代のファラオらしいです、この第18王朝というのは何千年とある古代エジプトの歴史の中でも繁栄を極めていた時代であり後の歴史に残るような数多くのファラオを輩出した時代であります。そしてツタンカーメンもまたこの第18王朝期のファラオなのです、もちろんこれだけならモデルになったかどうかなんとも言えませんがツタンカーメンとアテムには様々な共通点や関連性があるのです。

まず作中の闇遊戯ことアテムは10代でファラオに即位していて若くして亡くなっていますが、ツタンカーメンも10代で即位し若くして亡くなっています。またツタンカーメンといえば黄金のマスクに代表されるように黄金の副葬品が有名ですが遊戯王作中のキーアイテムでアテムと関連の深い千年パズルをはじめとした千年アイテムもまた黄金でできています。

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(千年アイテム一覧、左上からそれぞれ千年秤、千年眼、千年錠、千年タウク、千年錐(千年パズル)、千年ロッド、千年リング)

そして何よりアテムという名前の由来から考えるとアテムのモデルがツタンカーメンと確定してしまうのです、遊戯王の作者である高橋和希先生によるとアテムの名前の由来はアトン神という神から来ているみたいです。このアトン神はどう言った神なのかというとツタンカーメンの父であるアメンホテプ4世が神官勢力に対抗するために新たに作り出した神で世界初の一神教の神です。

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(アトン神、太陽を象っていて極めて象徴的な姿をしている)

この宗教改革は結局失敗に終わり次代のファラオであるツタンカーメンの時代にはアトン神への信仰は消えるのです第18王朝でアトン神と関連があるファラオはアメンホテプ4世とツタンカーメンだけなのです(一応両者の間にスメンカクーラーという人物がファラオになってますが在位期間が2年にも満たない上に記録もほとんど残ってません)。つまり第18王朝のファラオでアトン神を知っているという史実から考えるとアテムに該当するファラオはこの2名のみでありその上で共通点がある人に絞るとアテムのモデルとなったファラオはツタンカーメンでほぼ確定してしまうのです、そして何より重要なのがツタンカーメンとアテムにはともに真の名前を長い間抹消されていたという共通点があるのです。

なぜ闇遊戯は最後まで成仏できなかったのか

どういうことか説明するためにまずは古代エジプトにおける名前の重要性から書いていきます、古代エジプトにおいて人間の霊魂は5つの要素で構成されていると信じていました。その5つとはイブ(心臓)、シュト(影)、レン(名前)、バー(魂)、カー(精霊)です、そしてそのいずれか一つでも欠けたら死者はあの世で復活できない簡単にいうと成仏できずにいると考えていました。なので古代エジプト人はこれらを保持すべく様々な努力をしていたわけですが逆にいえば名前を抹消すれば死んだ人間をあの世で復活できなくさせることができたのです、なので古代エジプトでは死刑より重い罪として故人の名前を石碑などの記録から完全に抹消しその人を冥界で復活できないようにするというものがありました。遊戯王という作品の終盤で闇遊戯はアテムという消されていた自身の名前を取り戻し戦いの儀という名場面を経て表遊戯とデュエルで戦い冥界へ旅立つという流れがりますが、彼がこの場面まで冥界に行けず現世に留まっていたのは要するに自身の名前が忘れ去られていて霊魂が不完全であの世に行けなかったからです。

そして先程重い刑罰として名前の抹消があると書きましたが実はツタンカーメンもまた名前が抹消されていたファラオであるのです、ツタンカーメンの死後王統は一時途絶え結局その時の将軍ホルエムヘブがファラオになりますが、彼は自分の支持基盤を確立させるためにも神官勢力からの支持を得ようとアトン神の宗教改革を行なって神官の反発を買っていたアメンホテプ4世やその子孫であるツタンカーメンなどの名前を全て抹消してしまいます。ツタンカーメンの黄金のマスクは20世紀になって発掘されましたが実はツタンカーメン以外のほぼ全てのファラオの墓は何千年も前に既に盗掘されていました。ではなぜツタンカーメンの墓だけ無事だったのかというと名前を完全に抹消されてしまいその存在を忘れ去られていたからです。つまりアテムとツタンカーメンは死後名前が忘れ去られていたという面でも共通しているのです、ここまで一致しているとアテムのモデルはツタンカーメンと見て間違いないでしょう。

ここからは遊戯王見たことない人には通じないでしょうから見てない人は飛ばして結構ですが、バーとかカーとかてっきり漫画の適当な設定だと思いきやちゃんと古代エジプトの死生観を基にしているんですね、初めて知った時は驚きました。あとアテムが自分の名前を取り戻した瞬間ゾークに勝てた理由もご都合展開かと思いきやちゃんとした理由があることが分かりますね、名前を取り戻したことでアテムはファラオとして完全に復活し古代エジプトにおいてファラオはホルスの化身と呼ばれるように神と同等の存在とされていたので要するにアテムは名前を取り戻すことで神の力を取り戻してその結果勝つことができたというわけですね。

第18王朝と第19王朝の間

さて先程アテムのモデルとなったファラオがツタンカーメンであることを書きましたがこの話をさらに補強するのがライバルである海馬瀬戸の前世神官セトに関する話です。セトはアテムがファラオの時に神官のトップに就いてかつアテムの従兄弟でもありライバルでもあるという存在です。このセトにはアテムとツタンカーメンほど実際の歴史とリンクしている存在ではないですが、彼に関することで第18王朝末期の歴史とリンクしていると考えられる描写は結構多いです。

まず作中セトはアテムと対立することになりますがこれは神官勢力と王権の争いであり第18王朝末期の様子と全く同じです。先程も書きましたが第18王朝ではアメンホテプ4世が王権を拡張しようとアトン神を中心とする宗教改革を行いますが失敗してしまい神官勢力と王権の争いを引き起こしてしまいました、神官のトップであるセトとファラオであるアテムの争いはここをモチーフにしている考えていいでしょう。またセトは最後に死にゆくアテムから指名を受けて次のファラオになっていますがおそらくこれに元になった史実があります。第18王朝がツタンカーメンの後将軍であるホルエムヘブにファラオの座が奪われたことを話しましたが彼は後継がいなかったのでその死に際して親友兼腹心であるラムセス1世を後継者に指名し彼が次の王朝である第19王朝を創始します、ファラオがその死に際して他の人物を次のファラオに指名するという流れはここら辺を元にしていると言えます。

まあもちろんこれだけ書くと単なる偶然の一致のような気もしますがこの後の展開を考えるとあながちそうとは言い切れません。ラムセス1世は在位1年ほどで死亡し彼の息子が次のファラオとなります、そしてそのファラオの名前がセティ1世なのです。セティ1世という名前を聞いただけでなんとなく分かるでしょうが彼の名前はエジプト神話の神の一つセト神から来ていて神官セトとおそらく同じ由来を持っています、ここら辺を見ると遊戯王の終盤部分は実際のエジプト第18王朝末期から第19王朝にかけての歴史を下地にしていると言っていいでしょう。

余談ですがセトとセティの名前の由来となったセト神はエジプト神話においては兄であるオシリス神を殺して遺体をバラバラにした悪役でセティ1世に至るまでの数千年間誰もこの神を自分の名前に冠そうとしてませんでした、しかし一方で武の神であることから軍人での信仰はあり軍人出身のセティ1世が自身の名前に選んだのはここら辺の事情からです。遊戯王の劇中で海馬瀬戸や神官セトはブルーアイズホワイトドラゴンという攻撃力だけで考えると最強のモンスターを中心に強力なモンスターを使うパワータイプのデッキを使っていますが、あのようなデッキを使っていたのはここと関係しているのかもしれません。またたびたび戦っていたライバルで主人公の武藤遊戯の使う神のカードがセト神に殺されるオシリス神を元にしたオシリスの天空竜であるのもここら辺を下地にしていると言えるでしょう。

終わりに

さてここまで遊戯王古代エジプトに関することを書いてきましたがいかがでしたでしょうか?もちろんこの内容はあくまで私が古代エジプトの歴史と作中の描写から書いたもので公式設定でもなんでもないです。ただ漫画やアニメでも設定をよく見ると史実を基にしているようなものがある例として書きました、皆さんの好きな作品も設定の一部の由来を調べてみると裏にある壮大な歴史が見えてくるかもしれませんもし機会が有れば一度調べてみると面白いことがわかるかもしれませんよ。それでは今回はここまでですまた次回。

カードとなった神、遊戯王とエジプト神話。

皆さんは『遊☆戯☆王』という漫画作品をご存知でしょうか?この作品は元々主人公である武藤遊戯と彼のもう一つの人格である闇遊戯が悪人を独自のゲームで成敗していくという内容だったのですがいつのまにかカードゲーム漫画になって大ヒットした作品です。そして作中に出てくるカードゲームを元には現在世界で一番有名なトレーディングカードゲームである「遊戯王オフィシャルカードゲーム」が誕生したわけですがそんな『遊☆戯☆王』の原作ではキーアイテムとして神のカードと呼ばれる3枚のカードが登場しています、それぞれエジプト神話に関係する名前を持っていて召喚するのは難しいですがその名に相応しいとんでもない効果を持っています。というわけで今回はそんな遊戯王に登場する神のカードとその元となったものについて書いていこうと思います。

オベリスク巨神兵

まず最初に紹介するのは「オベリスク巨神兵」です

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このモンスターは3枚の神のカードの中で最も早く作中に登場したカードであり主に主人公のライバルである海馬瀬戸が使っていました。神のカードは自分の場にいるモンスターを3体墓地に送らないと召喚できませんがその手間に見合うだけの能力を持っていて元々の攻撃力が4000という作中のモンスターではトップであることに加えて神のカードに共通の効果としてトラップカードと他のモンスターカードの効果を一切受け付けずマジックカードも1ターンしか効果を受けません、さらにこのモンスター独自の効果として自分のモンスターを2体犠牲にする事で攻撃力が無限となって相手に攻撃できるという狂ったものを持っています。そんなとんでもないカードであるオベリスク巨神兵ですが実は3枚の神のカードで最もエジプト神話からかけ離れた名前の由来を持っています。

 

というのもこのカードの元ネタとなった「オベリスク」とは神の名前でもなんでもなく下の図のような尖塔なのです、オベリスク古代エジプトで神殿などに作られた記念碑です、もちろんエジプト神話

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とは大いに関係がありオベリスクはエジプト神話における世界の始まりの地である原初の丘ヘリオポリスのベンベンを模式化したもので側面には王の名や神への讃辞がヒエログリフで刻まれ、太陽神と共に王の威を示す象徴とされていました。しかし実はこのオベリスクという名称はなんとギリシャ語なのです、オベリスクの由来となったのはギリシャ語のobeliskos(串)で古代エジプトではこの建造物のことを「テケン(保護・防御)」と呼んでいました。つまり「オベリスク巨神兵」はエジプト神話とは直接関係のない名前の由来を持ちそればかりかギリシャ語に由来を持つというわけです、『遊☆戯☆王』作中で神のカードは古代エジプト人の作った石板をほぼそのままコピーして作ったという設定ですがこの石板を作ったエジプト人達は一体何者だったのか謎が深まるばかりです。

これは余談ですがこのオベリスクは現在その多くがエジプトにはありません、というのも巨大で目立ち珍しいオベリスクは戦利品の対象として掠奪されやすく特にローマ帝国の時代に多く持ち去られました。なので現在30本残っている古代エジプト製のオベリスクの内エジプトにあるものはわずか7本のみです、またエジプト国外にあるオベリスクの多くはイタリアのローマに集中していてそこだけでなんと13本もあります。

オシリスの天空竜

2つ目に紹介するのは「オシリスの天空竜」です

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このカードは2番目に登場した神のカードであり作中では主に主人公である武藤遊戯(正確にはもう一つの人格の闇遊戯)が使っていました。オベリスク巨神兵と同じくトラップ、モンスターカードの効果をを受け付けずマジックも1ターンだけしか受け付けないと言う効果に加えてこのカードは攻撃力が手札の枚数× 1000になると言う特殊な攻撃力の持ち方をしていいいます、つまり手札が0枚なら攻撃力はゼロですが逆に言えば攻撃力を手札の枚数の分だけいくらでもあげることができると言うとんでもない効果を持っていますもちろんデッキの枚数に制限があるので無限にはなりませんがそれでもとんでもない攻撃力に簡単になれます。それに加えて特殊な効果として相手のモンスターの攻撃力、守備力を問答無用で2000下げもしも2000下げた後の数値が0以下になった場合そのモンスターを破壊すると言うこれまたブットんだ効果を持っています。そんな「オシリスの天空竜」ですがその元ネタとなったのはエジプトの冥界の神「オシリス」です

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見ての通り竜とは一切関係ない神ですね、このオシリス神は冥界の神と言いましたが当初オシリスは冥界の神などではなく植物の神であったそうです。彼の体が緑色なのはそれが理由ですね、エジプトではナイル川の氾濫によって植物が全滅し水が引くと再生するのですがオシリスはその一連のサイクルの象徴でありました。それが次第に死と再生の神へと変化していき冥界の神となっていったのです、とまあ神話においてこのような変遷を経たオシリスですが実はこのオシリスは現実世界の古代エジプトの歴史においても重要な意味を持ちました、というのもオシリスは歴代王朝のファラオ(王)が神官に対抗し自身の権力を高めるために利用した歴史があるからです。

どういうことかというと古代エジプトでは主神であるラーが一番信仰されていましたがそれだけにラーを祀る神殿の神官達の影響力は非常に大きく政治にも度々口を出していました。そこで歴代のファラオはオシリスの信仰を盛んにすることで神官達の影響力をそごうとしました、というのもオシリスは冥界の神であるため現世には口出しをしないという解釈がされていたことから神官達の影響力が及ばずまた同様の理由から他のどの神を信仰している人でも祀って問題ないとされていました。しかも生ける神であるとされたファラオは死後オシリスと同一になるつまりオシリスは死後のファラオとされたのでオシリスの崇拝はファラオへの崇拝にも繋がったのです、それに加えてオシリスは冥界の神であることから盛んに信仰することで天国に近づけると信じられていたので民衆としても信仰に値する魅力があったのです。そしてこの試みは成功しそして時代が経つにつれオシリスへの崇拝は増一方でラーへの崇拝は落ち着いてしまいついに両者は同じくらい重要に扱われるようになりました、これによって王家は神官の勢力を削ぎさらに自身の権威を上げることができたのです。つまりオシリスは最もファラオと関係が深かった神の一つであると言うわけですね、これは余談ですが『遊☆戯☆王』の作中で「オシリスの天空竜」をよく使っていた闇遊戯は古代エジプトのファラオの魂が時を経て再び現れた姿とされていましたがファラオとけっこう関係ある神が元になったカードを使うことになんだか感動を憶えます。

ラーの翼神竜

3体の神の中で最後に紹介するのが作中において最強の神のカードである「ラーの翼神竜」です

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このカードはとにかくとんでもない効果だらけでまさにチートとしか言いようがない効果をを多数持っています、まず「ラーの翼神竜」は最上位の神のカードとされているのでマジック、トラップに加えて「オベリスク巨神兵」や「オシリスの天空竜」を含むモンスターカードの効果を受け付けません。そしてこのカードの攻撃力は召喚する際に墓地に送った3体のモンスターの攻撃力を合計させたものとなりますがただ召喚しただけでは

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このように丸い物体として現れるだけで何もできません、実はこのカードのテキストは神官文字(ヒエログリフ)で書かれていてそこに書いてある内容を口に出さないと攻撃できないというわけのわからない仕様を持ってます。そしていくら3体のモンスターを犠牲に召喚しても神官文字を読める者がこのモンスターのコントロール権を得るため仮に召喚しても自分が読めず相手が読めた場合ただただ3体のモンスターを無駄にするだけで終わるのです。とまあこのように色んな意味でぶっ飛んでいるカードですがこのカードの真の恐ろしさはこのカードが特殊召喚された際に効果を発揮します。このカードがモンスターを墓地に送らずなんらかの方法で特殊召喚されると

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このような不死鳥モードとなり以下のような効果を与えられます

・自分のライフポイントを1残すように払う事で、このカードの攻撃力・守備力は支払った数値だけアップする。
またこの状態で他のモンスターを生け贄に捧げることで、そのステータス分の数値をラーの攻撃力・守備力に加算することもできる。
・1000ライフポイントを払うことで、相手フィールドに存在するモンスターを耐性を無視して除去する。

とまあとんでもない効果です、特にライフを攻撃力に変えるの部分は凶悪で簡単に相手のライフをゼロにできる一撃を放つことができるものになってます。さてそんな「ラーの翼神竜」の元ネタとなった神はエジプト神話における最高神である太陽神ラーです。

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ラーはエジプト神話における最高神であり最も盛んに崇拝されていました、先程話たようにラーの神殿の神官達が政治に口を出せるほどの権威を持っていたのです。しかしラーへの崇拝は時代とともに衰えていきます、先程話したように歴代のファラオがラーへの信仰をあまりよく思ってなかったというのもありますが最大の理由はエジプトの首都が移ったことによるものです。

古代エジプト古王国時代、中王国時代、新王国時代の大きく3つに分類されそれぞれの時代の首都は全く違う場所にあります。そしてエジプトが中王国に入ると首都はテーベと呼ばれる場所に移るのですがそれに伴ってテーベの地方神であったアメン神への信仰が盛んになり次第にその人気をを奪われてついに最高神としての地位をアメンに譲りました。その後ラーは人気のある他の神と習合しアトゥム神と習合して「ラー・アトゥム」、ホルス神と習合して「ラー・ホルアクティ」、アメン神と習合し「ラー・アメン」、アテン神と合し「アテン・ラー」となり相変わらず大いに崇拝されていましたがかつてのように固有の神として絶大な信仰を集めるということはなくりました。

これは余談ですが「ラーの翼神竜」はカードとして販売された際に原作の効果ではゲーム性が破綻してしまうような効果からか大幅な弱体化を受け全く別物と言ってもいいほど使えないカードとなってしまいました。非常に人気のカードだったのでこの弱体化はあまりにも酷いと炎上してしまい先程あげた球体と不死鳥の形態が個別でカード化されたのです、それによって原作ほどではないものの使えなくはないカードとなりました。このように最初とてつもない存在だったのにその偉大さを失い他のものと一緒になって再びある程度元の偉大さを取り戻すという一連流れはまさに古代エジプトにおける神話の変遷を再現しているようでなんだか面白いとは思いました。

光の創造神ホルアクティ

最後に紹介するのが「光の創造神ホルアクティ」です、このカードは原作の終盤に一度だけ登場したカードで主人公である闇遊戯が自分の封印されていた名前を解き放つことで召喚し勝利するという劇中で非常に重要な役割を果たしてます。

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このカードの効果は召喚した瞬間勝利するというとんでもない効果を持ってますその代わり召喚条件が異常に厳しく3体の神を召喚して墓地に送らないと召喚できません。つまり単純計算で9体のモンスターが必要でとてもじゃないですけど召喚するのが無理です、というかこんなの召喚するより神のカードで攻撃する方が早いです、まあいわゆるロマンカードってやつです。そんなホルアクティですが名前の由来となったのは先程ちらっと登場したこの天空の神ホルスがラーが習合した際の

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名前であるホルアクティです。見ての通り女神でもなんでもなくなんなら頭が隼です、またこのホルス神はオシリスの息子でありファラオはこのホルスそのものであるとされていました。そんなホルスは当初天空の神でしたがのちに様々な神と習合しさらに地平線から太陽が昇ることから太陽神としての性格も持ち合わせラーと同一視されホルアクティと呼ばれるようになりました。つまりこの神はファラオの象徴であり同時に様々な神を束ねている存在でもあるのです、まさにファラオである主人公が様々な神を使って召喚するのに相応しい由来でしょう。またこのホルスは父であるオシリスを殺したセトという神を倒す存在であると神話では書かれていますがそこら辺も『遊☆戯☆王』の主人公である闇遊戯と一致するところが多いので結構面白いと思います。

最後に

というわけで今回は『遊☆戯☆王』に登場した神のカードとそれに関連するエジプト神話について書きましたがいかがでしょうか?『遊☆戯☆王』の作中にはこのほかにも古代エジプト神話を元にしたネタや(アテムとかセトの由来)設定上の舞台である第18王朝の歴史と見比べると面白い発見がまだまだたくさんあると思います(神官とファラオが対立する話とか名前を奪われたファラオとか)。なのでもし興味を持てたらそこら辺を調べてみると面白い発見があるかもしれません、というわけで今回はここで終わりですそれではまた次回。

民主主義で暴力が起こる影響

本日非常に衝撃的な出来事が起こりました、多くの人がご存じでしょうが安倍晋三元首相が奈良県で演説中に銃撃されそのまま死亡が確認されました、まずは彼とそのご家族や関係者に深くお悔やみを申し上げます。

政治家が暗殺される意味

この事件は凶悪な殺人事件ですが安倍晋三氏の立場が元首相で現在でも自民党の重鎮であることから単なる殺人事件以上の意味があり今後の日本社会における影響は計り知れないものでしょう、日本でも幾度か首相もしくは首相経験者が暗殺されたことは幾度かありますがそのいずれも後の日本の方向性を大きく変えました。

しかしながら今回の暗殺の注目すべき点は高度な民主主義社会の現代日本で大物政治家が暗殺されたという点でしょう、戦前の日本は一時期当時の世界の中では比較的高い民主主義がなされていた時期がありました。しかしその時代の日本の民主主義を終わらせたのは主に青年将校による首相の暗殺が相次いだからだと言えます、5.15事件や2.26事件の発生により首相が殺されるようになると暗殺を恐れたことから政治家は軍部に対して弱気になっていき次第に軍部の言う事を聞くようになりついに民主主義が停滞し太平洋戦争へと向かいました。

今回の暗殺は今のところ情報が少ないながら実行犯は特定の政治的思想から暗殺を実行してないだけ戦前の状況よりはマシですが、それでも多くの政治家は少なくとも数年間は政策を出したり演説をする際に以前よりも控えめな言い方をするかもしれません。これは明らかな民主主義の後退でありこの後退自体はわずかなものであってもそれを皮切りに後退がどんどん進んでいき、気がついたら民主主義とは程遠い政治体制になってしまうということは大いに考えられます。

民主主義が崩壊した例

おそらくこの事件だけでは現在の日本の民主主義が崩壊することはないでしょうが世界には高度な民主主義が存在していながら暴力が使われたために崩壊した事例が幾つもあります、そしてその崩壊の影響はその国の歴史に大きな爪痕を残します。

いくつか例を挙げると例えばチェコスロバキアは1948年まで非常に高度な民主主義体制の国でした、しかし同年国内の共産党が武力を使って政権を握った事で民主主義は崩壊し以後半世紀近くこの国は独裁体制に置かれます。

他には南米諸国がいい例でしょう、南米の中でもブラジル、アルゼンチン、チリの3カ国はかつてABC帝国と呼ばれ1920年代には当時の世界でトップ10に入るような経済大国でヨーロッパから出稼ぎ労働者が働きに行っていたほどです、「母を訪ねて三千里」とかはここら辺を背景にしています。そしていづれの国も高度な民主主義を採用していましたが経済が悪化するにつれて不正選挙や暴力を使った選挙が見られるようになりやはり民主主義は崩壊し現在では比較的安定しているもののかつての経済大国の面影はなく世界でも有数の治安の悪い地域になってしまいました。

そして民主主義に暴力を持ち込んで崩壊した例の最たるものがナチスの誕生でしょう、第一次世界大戦後のドイツはワイマール共和国と呼ばれ当時の世界では最も発達した民主主義国家でした。しかしナチス共産党など一部の政党が武装化し街中で争うようになりその結果民主主義が機能しなくなっていき、大統領緊急勅令で政治を進めるようになり独裁に対して民衆が抵抗感をなくしナチス・ドイツが誕生しました。そのあとについてはいうこともないでしょう、民主主義に暴力が入り込むのは大きな影響があるのです。

テロに屈してはいけない

しかし今回の事件は、人が死んでる以上こんなこというのは大変場違いですが今のところ政治的団体や組織が計画的に敵対する政治家を暗殺するというこれまでに挙げてきた例には当てはまらそうなのでその点は大いに救いになるでしょう。

むしろ警戒するべきは今回の事件をきっかけにこれを利用した規制がかかることではないかと私は思います、今回の事件は一人の狂人が起こした蛮行でありそこになんの政治的背景も外部の影響もありません。しかし人間は安易な答えを探そうとしますからその内この事件の原因としてマスコミのこれまでの安倍晋三氏への報道が批判されたり、安倍氏とかつて争った野党やあるいは安倍氏と共に政権運営をした与党、もしくはありもしない何かの関係者が槍玉として挙げられ批判されるでしょう。

そうなると民主主義の根幹に関わるどの立場の存在も活動を萎縮させちゃうので個人的にこれはあまりよろしくないかなと思います、たしかに今回の事件は痛ましいことですがこれを機に民主主義が後退しかねないような規制が起こらないといいなと思います。テロ活動の大きな目的はその名の通り恐怖を植え付けて民衆の活動を萎縮させることです、こん回の凶行がどのような目的で行われたのか分からないでしょうし知り得ないことでしょう。ひょっとすると安倍氏を殺す以外特に何も考えていなかったのかもしれません、ですが恐らく犯人は予想してないでしょうが様々な方面で今回の事件の影響が出てきそうな状況です。

今回の事件は痛ましいことですがその結果として安倍氏を含む多くの人が作り上げたものが無くならないことを切に望みます。

今日の国際ニュース日記 7月7日

はいというわけで今日も気になったニュースに関する日記を書いていきますが、本日のニュースはこれです。

料理はまきで…経済危機のスリランカ(AFP=時事) - Yahoo!ニュース 【AFP=時事】かつては比較的豊かだったスリランカでは現在、医薬品やガスなどあらゆる物が不足している。そのような中、ガスで news.yahoo.co.jp 

スリランカの経済がいよいよ崩壊したみたいです、スリランカは知っての通り中国の進める一大国際経済政策である一帯一路の大きな投資先であり大量の借入を中国から行い返済することができなくなったので港の使用権を99年間中国に与えた国です。

近年ではその過剰な中国からの借入が問題視されていましたが現在の大統領はその姿勢を崩さずまた実兄を首相に据えるなど一族で権力を独占し不正蓄財をしていたと言われています、ですがそんな状態でもなんとか綱渡りはできたいましたが新型コロナウイルスの流行によって状況が一変しました。

このウイルスの影響で主要産業の観光業が壊滅し、紅茶の輸出もサプライチェーンの崩壊で伸び悩みます。そうして経済が一気に危機的になると肥料や医薬品を始めとした多くの必需品の輸入が困難になっていきました、スリランカ政府はこれに対し肥料禁止令を出し有機農業を強制することで肥料の輸入をなくし紅茶に有機農法製のブランド力をつけるという迷政策をしますが当然失敗し、紅茶の生産が崩壊したことで今年の5月にデフォルト、そして昨日今日になって大統領が国家の破産を宣言しました。

スリランカ政府はロシアに対して財政支援を要請するみたいですが正直な話それではただの一時凌ぎにすぎずスリランカ経済の抱えている問題は一切解決できないでしょう、そもそもロシアも支配能力がなくなったわけではないとはいえデフォルトを起こし経済制裁を受けている立場なんでウクライナと戦争をしながらスリランカを支援できるかはかなり怪しいでしょう。

どっちにしろこの経済危機は借金をする事で経済成長をしようとしたツケが回ってきた結果でもありますし大統領一家が政治を私物化した結果であるとも言えるでしょう、今後スリランカがどうなるか分かりませんが国民の生活水準が気がかりですね。