しば塾の世界史日記

世界史についていろいろ書いていこうと思います。

エデンの園はどこにある?聖書の記述と実際の歴史。

私実は小さい頃キリスト教系の幼稚園に通っていたんですよ、幼稚園では当然キリスト教の神話に関することは飽きるほど聞きましたしそれと世界には自分たちと違って恵まれない子どもたちもいるみたいな話を餓死寸前なのに寄生虫でお腹が膨れている子ども達の写真集を見せられながら聞かされていました。とはいえ小さい頃の私にはイエス様のありがたい教えとか世界の貧富の差みたいな難しい話が分かるわけもなく、エデンの園とかノアの方舟とかみたいな簡単な神話に心惹かれていました。そして小さな頃の私はいつかエデンの園を見つけ出して行きたいなんてことを考えていましたね、というわけで今回はそれに関連する話について書いて行きたいと思います。

エデンの園はどこにある?

さて私の小さい頃の夢はエデンの園に行くことだと書きましたが、聖書に記述されているエデンの園は一体どこに存在するのでしょうか?聖書によるとエデンの園はなんでも遥か東に存在し(どこから見て東なのかは書いてない)4つの大河が流れ出てたとされています。その4つとはピジョン、ギホン、ヒデケル、そしてユーフラテスです、ユーフラテスはあのメソポタミア文明と深い関わりのある有名な川ですが他の3本は全く聞いたことのない川だと思います、とはいえその内ヒデケルはチグリス川であることがわかっています。つまり残り2本の川が何かわかればエデンの園の場所がわかりますし、そうでなくてもユーフラテス川とチグリス川の位置から大体推測することができます。なのでこれらをもとにエデンの園の位置は2つの説にまとめられています。

アルメニア

ユダヤ教キリスト教エデンの園の場所として伝えられているのがアルメニアの首都であるエレバンという街です。

画像1

画像2

(エレバンの位置と写真)

この街は以下の理由からエデンの園が位置していた場所だと言われています

チグリス・ユーフラテス川の水源地である

ノアの方舟伝説と関連しているアララト山の近くである

・ローマやエルサレムから見て東にある

この街はチグリス川とユーフラテス川の水源地であるだけでなく聖書にノアの方舟がたどり着いたとされているアララト山が近くに存在しているからエデンの園の場所として伝えられました、加えてユダヤ教の中心であるパレスチナキリスト教の中心であるヨーロッパから見て東に位置するのもこの説を補強することになりました。

ですが正直ここがあの聖書に描かれた楽園だと言われてもイメージと違うと思う人がほとんどでしょう、またエデンの園がここであるとされる根拠であるアララト山の存在ですが実は現在アララト山と言われている山と聖書に出ているアララト山は全くの別物なのです。12世紀にヨーロッパ人が現在の雄大アララト山を見て「この山こそがきっと聖書に描かれたアララト山だろう。」として名付けたのが現在の名称の由来でありエレバンの近くに存在するアララト山が聖書に出てくるアララト山と同じだという根拠は一切無いのです。その上残り2本の川が存在しないことから本当にエデンの園エレバンに存在していたのかは大いに疑問です、なので近年は違った説が提唱されています。

ペルシア湾

もう一つの説はかつてペルシア湾に存在していたのではないかという説です、この説によるとかつて氷河期海面が今より低い頃のペルシア湾には巨大な陸地が存在していてそれがエデンの園であるというものです。

この説の根拠としては残り2本の川の存在と神話との整合性です、エデンの園から流れ出ていた残り2本の川がどこを流れていたのかはちゃんと記述がありそれによるとピジョンアラビア半島を、ギボンはクシュを流れていたそうです。クシュは現在のエチオピアなのでかつてギボンはナイル川なのだと言われていました、ですがどうやら旧約聖書に出てくるクシュはエチオピアだけでなくイラン北西部でもあるらしいのでこの4本の川はかなり近い場所に位置していたと思われます。

そして今では今より海面が低かった氷河期ペルシア湾は陸地に覆われておりこの仮に残り2本の川が実在していたのならこの4本の川は今は海の底に存在するペルシャ湾にあった地で合流していた可能性が高いです。聖書の記述ではエデンの園が上流であるかのように書かれていますが数千年前の曖昧な表現が元なんでここら辺のズレはしょうがないでしょう、というわけでエデンの園ペルシア湾に存在していたという説が近年では注目されています。

神話との整合性

エデンの園ペルシア湾にあった場合聖書に出てくる神話と合致することが多いのもこの説を補強することとなっています、聖書では人間が楽園から追放されてしまいますがこれはいうまでもなくこれは海面上昇でペルシア湾が海になり陸地が失われたことでしょうしまたノアの方舟の話とも関連していると言われています。

通常の海面上昇は数年や数十年単位で行われるでしょうがペルシア湾の場合は他の地域と比較すると比較的早く起こったと言われています、というのもペルシア湾は入り口の海抜が浅くなっていて陸地だった頃は巨大な盆地でした。なので世界中で海面上昇が起きる中本来沈むような海面になっても入り口が防潮堤のようになって海水の侵入を抑えていました、そして海水がペルシア湾の入り口を越えた瞬間他の海面上昇が起こった地域と比べるとあっという間に沈んでしまったのです。

これは聖書に出てくる楽園追放やノアの方舟の物語のモデルとなったのではないでしょうか?海面上昇で陸地がなくなり住処を追われたのが楽園追放で、海面上昇による大洪水がノアの方舟というわけです。もちろん神話と現実を一緒にしてはいけませんが神話というのは必ずモデルになった出来事が存在しているので、当然先程あげた2つの物語も例外ではなくそう考えた場合エデンの園ペルシア湾になったという説は非常に辻褄が合うのです。

楽園追放と農業

ところでちょっと話がそれます、が聖書の神話でもう一つ個人的に実際の歴史と関連があると思うのが楽園追放後に関する話です。聖書によると神は楽園から追放したアダムとイブに2つの罰を与えました、これは今後生まれてくる人間にも適用されるものですが女性の場合は出産時の苦しみで男性の場合は労働の苦しみ、より正確には食べ物を得る際に汗水を流して労働しなければならないというものです。

そして前者はともかく後者の話は現実で起こった歴史と関連している可能性が高いのです、人間が農業を始めたのは今から一万年前のメソポタミア地方でここからさらに数千年かけて文明が発展していくわけですが、そもそも人間はよく言われているように安定した生活を求めて農業を始めたのではなくむしろ追い詰められてやむを得ず農業を始めたと言われています。

というのも農業は狩猟や採集と言った農業以前の生活方法と比べると非常に効率が悪いのです、よく考えたらわかることですが一年のの多くを農作業に費やさないと食料を得られない農業とたまに獲物が取れれば良い狩猟採集なら後者の方が絶対楽です。しかもこの時代の農耕民の食事は3食基本的に発酵してないパンと原始的なビールだけであり肉や果物など豊かな食生活を送っていた狩猟採取民との間では生活水準から見ても格差がありました。つまり初期の農業とは手間がかかる上に生活水準を落とさなければならないものだったわけですがそれでもかかわらずメソポタミア地方の人間が農業を始めたのは追い詰められていたからです、メソポタミア地方は当時世界で最も狩猟採集生活を送る上で理想的な場所であり縄文時代の日本と並んで世界でも数少ない狩猟採集民が定住していた場所でした。

しかしそんな彼らは追い詰められてしまい楽な狩猟採集をやめて辛い農業を始めます、追い詰められた原因はいくつか説があり定かではないもののペルシア湾にあった陸地が沈んだような大幅な気温の変化によって(寒冷化か温暖化は意見が割れる)あるいは単に狩すぎによって獲物の数が大幅に減った、もしくは気候に恵まれすぎて人口が必要以上に増えてしまったことにより狩猟採集では人口を賄いきれなくなり農業を始めたと言われています。

そして農業の恐ろしいところは一度始めてしまうとよっぽどの理由がない限り止めるのが難しいという点です、というのも農業は食料を得る手段としては手間がかかるものの狩猟採集では不可能なほどの食料を得ることができます。なのでたとえ追い詰められて農業を始めても食料は狩猟採集より増え人口が爆発的に増大します、その結果従来の狩猟採取では到底養いきれないほどの人口になってしまうのです。つまり一度でも農業を始めたらまた楽な狩猟採集生活に戻るのは不可能になってしまい永久に汗水垂らして食料を得るほか無いのです。

こうして見てみると聖書における楽園追放とは狩猟採取と言う楽な生活を送っていた人類が農業と言う過酷な方法で生活せざるを得なかった歴史を寓話的に表していると言えるのでは無いでしょうか?もちろんこれは神話と現実の歴史で起こっていたかもしれないことを無理やりこじつけただけですが、神話は現実で起こったことを基に作られている物なので現実の歴史と一致する要素が出てくるのは決してありえない話では無いと思います。

最後に

と言うわけでここまで聖書に関する話を書いてきましたがいかがでしたでしょうか?聖書に関連する話はまだあるんで今後書こうと思います、と言うわけで今回はここまでですそれではまた次回。