しば塾の世界史日記

世界史についていろいろ書いていこうと思います。

縁もゆかりもない国々に後継を争われてる国々〜中国の東北工程と韓国

日本に住む我々にはあまり理解できないかもしれませんが、ある国にとって自国の領域にかつて存在していた国は例え民族や文化を共有していなくてもなんらかの繋がりを感じ、親近感を抱くだけでなく場合によってはナショナリズム高揚に使われたりします。しかしここで問題となるのはその畏敬の対象である国が現在の国境から見ると複数に跨ってる場合です、こうなるとどちらの国がその後継を名乗るのか争うこととなってしまうからです。しかも例えばモンゴルのように現在でも民族や文化に繋がりがあるならともかく、お互い既に古代のその国と直接的な繋がりがない場合どちらも確固とした正当性がないのでしばしば泥試合になってしまいます。

というわけで今回はそんなケースの一つを紹介しようと思います。

高句麗渤海

今回紹介するのはかつて東アジアに存在した国である高句麗渤海を巡って中国と韓国が争ってる話です、この2国は有名なので説明するまでもないでしょうが一応簡単に書いておきます。

高句麗は紀元前1世紀頃から7世紀まで朝鮮半島北部から中国東北部、かつて満州と呼ばれた広大な地域の南半分を支配していた巨大な国です。

画像1

(高句麗の最大版図)

この国はあまりよく分かってないことの多い国ですがツングース系の半農半猟を営んでいた貊人が建国したと考えられていて紀元前1世紀ごろに漢王朝の衰退とともに自立し、中国が三国時代南北朝時代で争いを繰り返すうちに勢力を拡大していきました。最盛期を作った王である広開土王の頃には朝鮮半島の大部分と中国東北部の南半分を支配する強大な帝国として東アジアに君臨します。その後も領土は多少小さくなるものの相変わらず大国としてい続け中国本土が隋によって統一されると2代目皇帝の煬帝は大軍を率いて隋を攻めますが3度に渡る大遠征は全て失敗し、隋が滅亡するきっかけとなります。

その後隋に代わって中国を統一した唐も高句麗を征服しようとしますが2度も遠征を行うもやはり失敗し、3回目で新羅と組みようやく高句麗に勝利し668年高句麗は滅亡してしまいました。

渤海高句麗と同じくツングース系の民族である靺鞨人が朝鮮半島の北辺から主に中国東北部の南半分、そして現在のロシアの日本海沿岸、沿海州と呼ばれる地域に建てた国です。

画像2

(渤海の最大版図)

渤海は698年靺鞨族の大祚栄と呼ばれる人物が高句麗の復興を掲げ、高句麗の遺民を多数従えて建国されました、故に高句麗の後継国家とも言えるでしょう。この国は唐に冊封して保護を受ける一方高句麗の後継であるという意識から独自の元号を使うなどし、また南の新羅と争ってる都合上日本にも盛んに使節を派遣し交流していました。しばらく安定していましたが10世紀ごろから内紛が激しくなりモンゴル系の契丹人が建国した契丹に滅ぼされてしまいます。

こうしてこの2国は滅びたたわけですがそれから千年経った現在、中国と韓国がこの2国の歴史を巡って激しく争うようになってきました。なぜそうなったのかを書いていきます。

韓国と中国にとっての高句麗渤海

高句麗は韓国や朝鮮半島に存在した国にとってしばしば畏敬の対象になっていました、理由としてはいうまでもなく強大であったからですがとりわけ中国の王朝である隋や唐と戦い何度か勝利したことが大きな理由です。この畏敬の念はかなり早くから存在し例えば新羅の次の王朝である高麗は渤海などと違い民族的には全く高句麗と関係ないにもかかわらず高句麗の再興を目指し国号の由来としました、その後も朝鮮は長い間歴代の中国王朝に服属しますがそんな中ほとんど唯一中国王朝に打ち勝ち大陸に領土を持っていた高句麗は例え民族的な繋がりがなくとも憧れの対象であり続けました。

一方で中国からすると中国本土や多数派である漢民族とは全く関わりがないものの、主要な少数民族の一つである満州族高句麗と同じツングース系民族で高句麗と多少関わりがありますし、何より高句麗の領土の多くは現在の中国にあたる地域であるため完全に別な国の歴史とは言いがたく無視することはできない存在なのです。

他方渤海に関してはまた少し事情が異なりますがやはり韓国と中国は繋がりを主張しています、韓国にとって渤海高句麗よりさらに繋がりが薄いものの高句麗の後継であり朝鮮半島にも領土を持っていたことから関連があると考えています。それどころか驚いたことに韓国の教科書では高句麗百済滅ぼし三国を統一した新羅の存在していた時代を統一新羅ではなく南北王国時代として教えています、要するにあの時代朝鮮半島は統一されておらず自分たちのルーツである渤海新羅が争っていた時代と教えているわけです。

そして中国もまた高句麗と同じ理由から渤海を自国の歴史であると主張していますが渤海の場合朝貢だけでなく冊封を受けていたことや唐風の都である上京竜泉府が作られるなど唐の影響が高句麗より強かったこと、領土の大半が中国やつい最近(1860年代)まで清の領土であった沿海州であることも中国の主張を補強してます。

第三国に住む我々からすると両者の言い分とも間違っているように思えないですし高句麗渤海は中国の歴史でもあり朝鮮の歴史であるとすればいいじゃないかと思うのですが、実は両国の高句麗渤海をめぐる対立は単に高句麗渤海だけにとどまらないもっと大きな対立を孕んでいるのです。

東北工程

中国と韓国の歴史対立が本格的に始まったのは1997年です、この年中国は「東北辺疆歴史与現状系列研究工程」と呼べれる中国東北部(旧満州)の歴史研究を目的とする国家プロジェクトの開始を発表します、通称東北工程と呼べれるこの取り組みが今に至る両国の対立を引き起こしました。その後何年にも渡って行われたこの研究では高句麗および渤海は中国の少数民族と同系統のツングース系夫余人が建てた国で中国の地方政権であるとされました、そして高句麗渤海は中国本土に隷属していた王朝であることや高句麗と隋、唐の争いは「内戦」というような発表がされそれが中国の公式見解となりました。

中国がこのような研究を開始したのは国内の民族問題からです、中国には現在も満州族がいますが加えて朝鮮族少数民族として存在しています。なので中国は朝鮮族が韓国や北朝鮮と統合しようとしたり満州族が自立しようとすることを恐れたので両民族が古代から中国の民族であったとする必要が生じそれに高句麗渤海が利用されたというわけです。

当然こんな発表に韓国は猛反発しますが中国の東北工程はさらにエスカレートしその数年後には高句麗のみならず百済までもが中国の地方政権ということになってしまいます、これはなぜかというと百済の建国神話と関係しています。百済の建国神話では初代百済王は高句麗初代王である朱蒙の子であることになっていてルーツを高句麗と共有していたからです、もちろんこの建国神話は強大な高句麗の威光にあやかるために作られたものでしょうが一方で百済の文化は新羅よりも高句麗に近かったのでこれらを根拠に百済もまたツングース系民族が建てた国であり中国の歴史であるとしたのです。

一方で韓国も負けじと高句麗および渤海が韓国の歴史であることを強く主張し官民一体となって大規模な宣伝を開始します、その一環としてこの時代を扱う韓国ドラマが大量に作られました。特に有名なドラマとして『朱蒙』が挙げられますがこのほかにも多くのドラマが作られ一時期韓国ドラマは古代朝鮮、正確には高句麗渤海を扱ったもので席巻されました。ちなみにこれは効果があったのか不透明ですが少なくとも中国は相当不快感を示したらしく『朱蒙』をはじめとしたこうしたドラマは放送を禁止されてます。

このように鞘当てが続けられていましたがついに中国は朝貢関係を理由に新羅もまた中国の地方政権であったとの主張を開始する様になります、ここまでくるといよいよ韓国は本気で怒りついに政治問題化しました。結局学術討論で解決していき政治問題としないことが決められましたが未だに民間では中国に対する反発が強く、驚いたことに東北工程は日本との従軍慰安婦問題などを始めとした歴史問題以上に深刻かつ懸念すべき歴史問題とされています。

まあ韓国からすれば東北工程が進めば自分たちの歴史における歴史を全て否定し、「朝鮮は中国の辺境に過ぎない一地方。」とされかねないことで自分たちのアイディンティティの根本に関わることなんである意味当然と言えるでしょう。

歴史対立のその後

その後も両国の対立は一向におさまらずむしろ悪化しています、その理由としては韓国の懸念がより悪い方向で当たり中国が過去の歴史に限らず現在の韓国文化に関わることにも起源を主張しているからです、例えば向こうの着物のような存在である伝統衣装の韓服や韓国の代表的な漬物であるキムチなどですこれらは東北工程をもじってキムチ工程や韓服工程と呼ばれています。中国がこのように暴走しているのは習近平政権の発足以降、愛国主義を過度に強調し過去の中国の全盛期に存在していた文化や歴史は今もすべて中国のものだという立場を取っているからだと言われてます。

これは日本も当然無関係な話ではなく朝貢関係をもとに中国の一部とするなら古代日本の大和政権や室町幕府は中国の一部となるでしょうし19世紀まで朝貢を続けていた沖縄なんかはさらに危ういといえます、また日本に存在する様々な文化例えば茶道や着物や日本料理なんかの起源も主張し始めるかもしれません。どちらにせよこの件は対岸の火事ではありません、今や古代中国と深く関わってきた国や地域は全て中国による歴史的、文化的なある意味征服事業の対象になる可能性があることを注意するべきでしょう。

高句麗渤海はどこの国の歴史か?

さてここまで高句麗渤海をめぐる中韓の歴史対立とそれの広範への広がりを書きましたが、そもそもの話高句麗渤海は中国の歴史でも韓国の歴史でもないとも言えるのではないでしょうか?確かに両国は朝鮮半島と中国にあたる領土を持ってました、ですが現在の両国に彼らの残した文化はほとんどありませんただ領土が被っていただけなのです。それを以って後継とするのはかなり違和感があるのは私だけじゃないでしょう、高句麗渤海は中国の歴史でも朝鮮の歴史でもないとする方が自然な気はします。

とはいえ高句麗渤海のような話はこれだけではなく世界各地に存在します、例えばエジプトはピラミッドに代表される古代エジプト文明を誇ってますが今のエジプト人の大半はアラブ人なので全く関わりがないですしギリシャ古代ギリシャの文明や文化を誇ってますが現代のギリシャ人はスラブ人やトルコ人との混血が進み全く違う民族となっています。なんなら中国にしたって儒教三国志を誇ってますが漢や三国志の時代の中国人の子孫は魏晋南北朝時代に9割ほどが死亡し北方の遊牧民が大量に流入、言語レベルで大きな変化が起こるほどの変化が起きています。

盛者必衰の言葉にあるようにいかに繁栄している国や民族でもいつの日か滅びてしまうものです、ですがただ滅ぼされるだけでなく後世縁もゆかりもない人達にその栄光を利用されることは珍しくありません。この事を最大の侮辱と見るべきかそれとも滅ぼされてなお輝く栄光を残せたと誇るべきか私は未だに判別することはできません、ですが世の中には完全に忘れ去れれてしまった国や民族も多数存在します、それらに比べれば私は後世に記憶されるだけ恵まれているのかなと思います。

それでは今回はここまで、また次回。