しば塾の世界史日記

世界史についていろいろ書いていこうと思います。

ロシアから独立する地域はどこか?

ロシアによるウクライナ侵攻からすでに百日以上が経過しました、開戦当初は私を含めほんの数日でウクライナが敗北するとの予想が大多数でしたが蓋を開けてみるとウクライナは相当善戦しロシアは未だに決定的な勝利を得られてない状況です。さてこのように戦争が長期化して多くの負担をロシアが負っている中、この戦争が終わってからロシアがかつてのソ連のようにいくつかの国に分裂してしまうのではないかという意見を耳にします。実際ソ連崩壊のきっかけの一つは長期化したアフガン戦争による大きな負担がのしかかったというのがあるのであり得なくはない話です、というわけで今回はそのことについて書いていこうと思います。

ロシアの行政区分

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(ロシアの行政区分の地図)

というわけでまずはロシアの行政区分を見てその中で独立しそうな地域を探してみましょう、日本の「都道府県」に相当するロシアの行政区画には、州、地方、市、共和国、自治州、自治管区がありそれらは「連邦構成体」と呼ばれています。この連邦構成体は「地域」と「民族」と言う二つの異なる概念を軸に作られており、ちょうど日本の行政区分のように作られているのが州、地方、市で日本には存在しないものですがロシア以外の少数民族が住んでいるなどの理由で作られているのが共和国、自治州、自治管区です。

つまりもしロシアから独立しそうな地域があるとすれば民族を基に制定されている共和国、自治州、自治管区のいずれかである可能性が高いです。ですが自治管区はどれもが少数しか人が住んでない北極圏に作られたものなので独立する気はなさそうであり、

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(ロシアの自治管区一覧、失礼ながら地球でも類を見ない僻地である)

自治州は今のところユダヤ自治州と言うソ連時代ユダヤ人の住む地域として作られておきながらスターリンによる大粛清の結果数十年に渡ってユダヤ人が人口の1%しかいないというよく分からない状況になっている地域のみなので現実的に独立できそうなのは22個ある共和国のみでしょう。

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(唯一の自治州であるユダヤ自治州、ユダヤ人と縁もゆかりもない中国との国境付近に存在しユダヤ人が人口の1%しかいないよくわからない場所)

ロシア連邦の共和国は基幹民族と呼ばれる国民国家を持てる規模の少数民族に与えられる地域で独自の大統領(最近はプーチンのせいで呼び名が首長に代わってる)、議会、憲法公用語を持ち、中央政府とは違った法を施行し独自の法が優先される為時折ロシア連邦憲法と矛盾し衝突を起こすほどです。またロシアの共和国の中心となっている基幹民族は当然スラブ系のロシア民族とは全く違うので住民の中にも一定数独立志向の人がいることから戦争が長続きしロシアに愛想を尽かせば独立する可能性は大いにあり得ます。

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(ロシアに存在する共和国の一覧、ちゃっかりクリミアも入っているがこれは一旦おいときます)

しかし実際にはこうした共和国もその多くはロシアから独立する可能性は低そうです、なぜなら多くの共和国は長年に渡ってロシアと同じ国家でいた結果元々基幹民族の土地であったのにロシア民族がどんどん移住していき結果住民の半数以上ががロシア民族である地域が多いからです。今のところロシア民族が過半数の共和国が8つ、過半数ではないものの一番多くを占めている地域が2つとクリミア共和国を含め22個ある共和国の内実に半数ほどがロシア民族が主体の国となっているのです。

それに加えていくら地域のロシア民族でなくても住民にロシアから独立する意志がなければそもそも独立するには至らないでしょう、実際ソ連崩壊時にロシア連邦に所属していた各共和国は独立するかロシアに留まるか選択できたのですが一時的にでも独立を選んだのは僅か4つだけでした。つまり長々と色々書きましたが独立の可能性を含んでいるのは事実上この4つのみである可能性が高いと言うわけです、というわけで次はこの4つの候補国を紹介していこうと思います。

4つの候補

サハ共和国

まず最初に紹介するのがロシアの極北に位置するサハ共和国です

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(サハ共和国の位置と「国旗」)

サハ共和国でまず注目すべきはその面積の大きさです、この国はロシアの行政区画の中でも最大の面積を持ちその広さは310万㎢であり日本のおよそ8倍にも及ぶ広さで仮に独立した場合世界第7位のインド(329万㎢)についで第8位になることとなります。しかしこれだけの広い面積を擁していながら人口は100万人に満たないと言う極めてアンバランスな地域でもあります、この100万の内サハ共和国の基幹民族であるサハ人は全体の45%ほどでそれについで多いのはロシア人で40%ほど、後は旧ソ連圏の様々な民族で占められています。

サハ共和国の経済の中心は広大な国土に生えている針葉樹林からくる林業と地下に眠る豊富な天然資源です、特に天然資源は非常に豊富で例えばロシアは世界1のダイヤモンド産出国ですがその99%がサハ共和国産ですしこのほかにも金や石油、天然ガスに石炭などが豊富に取れ少し変わったとこでは象牙の代替品として近年注目されているマンモスの牙も盛んに採れています。

ここまでがサハ共和国の簡単な紹介ですがこの国はソ連崩壊時に一時期独立を宣言しました、ですが結局ロシアと交渉し残留することを選択します。その理由としては経済的な事情からです、いくら天然資源が豊富とはいえこのように辺鄙な土地では輸送コストが高くつきますし食料品を始め多くの物品を輸入しなければなりません、またそもそも人口が少ないので労働力はロシアの他の地域頼みです。そんな中独立しても国として立ち行けるかかなり微妙だと言えましょう、実際ロシアは日本で言う地方交付税交付金の制度がありますがサハ共和国は最近まで中央に支払う税金より中央から支給される支援金の方が多い状態でした。

とはいえ近年では技術の進歩や地球温暖化の影響で北極付近の開発が進み新たな油田が掘られたり北極航路が注目されていてその拠点となる港の一つがサハ共和国に存在することから今後経済的に大きく発展すればまた状況は変わるかもしれません。

トゥヴァ共和国

次に紹介するのはモンゴルと隣接しているトゥヴァ共和国です

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(トゥヴァ共和国の位置と国旗)

トゥヴァ共和国の国土は17万㎢でこれは大体日本の半分ほどの大きさです、そしてそこに35万人ほどの住民が住んでいます。先程紹介したサハ共和国と比べると面積と人口のバランスはマシですがそれでもかなり人口密度が低い地域と言えるでしょう、主要な産業鉱業ですがサハ共和国のように豊富ではなく他にも畜産や林業、毛皮輸出もしてますがどれもそう大きな規模ではないです。

この国で特筆すべきは辿ってきた歴史です、この国は実は一時期30年近くも独立国として存在しソ連崩壊後の独立も含めると実に3回もロシアに編入された地なのです。この国は元々清の領土でしたが1911年に辛亥革命が発生するとロシア帝国の支援のもと「独立」しその後1914年にロシア帝国保護領としてその領土に組み込まれます、これが1回目の編入です。

しかしその僅か3年後1917年にロシア革命が発生すると当然トゥヴァもその影響を受け革命勢力がこの地を占領します、ところが成立したばかりのソ連はこの地を自国に組み込むことをしませんでした。その理由としては中華民国との関係が挙げられます、辛亥革命後に誕生した中華民国清朝の旧領を国土に主張したので当然トゥヴァもその中の一部でした。そして中華民国は当初ソ連に歩み寄る姿勢を示していたので国際的に孤立していたソ連としてはこんな小さく貧しい領土のために中華民国と争うこととなるのは避けたかったのです。結果としてこの地はソ連でもなく中華民国でもない独立国「トゥヴァ人民共和国」として1921年に独立し1926年にソ連とその傀儡であったモンゴル人民共和国から承認を受け世界第3番目の社会主義国家として歩みはじめます。

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(トゥヴァ人民共和国の国旗)

しかし実態は言うまでもなくソ連の傀儡で実際ソ連編入されるまでの間独立を承認したのはソ連とモンゴルの2ヶ国だけでした、とはいえ一応は独立国なので実は独ソ戦で最も早くソ連支持を表明した国であったりします。そしてこれに関連する面白いエピソードとしてトゥヴァ人民共和国ナチス・ドイツに宣戦布告した際にヒトラーは世界地図を広げたがこの国を見つけることはできなかった…と言うのがあるらしいです。そして大戦中の1944年10月11日と言うなんとも中途半端な時期ににソ連トゥヴァ人民共和国の加盟申請を受け取りトゥヴァはソ連の一部となり構成国の一つであるロシア・ソヴィエト社会主義共和国に編入されます、こうしてトゥヴァは再びロシアの領土となったのです。

その後1991年にソ連が崩壊するとトゥヴァは独立を宣言します、しかし翌年にはロシアと交渉しロシア連邦に加盟します、これがロシアへの3度目の編入です。どうしてトゥヴァが独立を撤回したのかと言うと単純に経済的な理由です、トゥヴァには目立った産業もなく天然資源も多くないので独立国として存続するのはかなり無理のある話だったのです。結果としてトゥヴァ共和国は住民の8割以上が基幹民族のトゥヴァ人でロシア民族がかなり少ない珍しい地域でありながら一向に独立の気配がないままとなっています。

タタールスタン共和国

次に紹介するのはタタールスタン共和国です

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(タタールスタン共和国の位置と国旗)

タタールスタン共和国はロシアの西側に位置する国家で面積は6万8千㎢と東北地方と同じくらいの大きさでこれまで挙げたサハ共和国トゥヴァ共和国と比べると面積では小さな国です、しかし人口は400万人とロシアの共和国の中では最大の規模で経済的にも非常に発展している地域です実際この国の首都であるカザンはモスクワ、サンクトペテルブルクに次ぐロシア第三の都市の座を争ってる街の一つです。タタールスタンは規模の大きなガス田があり単に資源が取れるだけでなくそれを基にした石油化学工業や機械工業が非常に発展していて近年ではIT分野での発展もめざましい地域です。

なのでこれまでの2国と比べるとロシアからの独立に伴うデメリットが小さくそのこともあってかソ連が崩壊すると独立を宣言します、一時期は後述するチェチェンに次ぐほど強硬な姿勢を打ち出していたので本当に独立するのではないかと見られていました。ですが結局この国は独立することなく未だにロシアに留まっています、その理由としてはこの国の置かれた立場を見るとわかるでしょう。

まずタタールスタンは外国と接しておらず周り全てを完全にロシアに囲まれています、またタタールスタン共和国の住民は基幹民族であるヴァルガ・タタール人が53%、ロシア人が40%残りをその他の民族が占めていると言う構成となっています。つまり仮に独立した場合タタールスタンは周りを全て大国であるロシアに完全に囲まれているだけでなく、国民の4割が囲んでいる国の住民の同胞であると言う非常に危うい国として生きねばならないのです。また基幹民族であるヴォルゴ・タタール人は実はタタールスタン以外のロシア各地にも居住していてロシア最大の少数民族となっています、つまりタタールスタンが独立した場合ロシア最大の少数民族としての影響力を失うばかりか他の地域に住む同胞についても気にかけなければならないのです。

こうした事情を踏まえてタタールスタンはロシアからの独立を諦めました、ただしただで諦めたわけでなくロシアと交渉し他の共和国とは違いかなり対等な関係でロシア連邦に加盟しています。例えばタタールスタン共和国は外国政府との関係構築の権利などを手に入れていて現在、ロシア国内外にタタールスタン共和国の代表部(大使館のような機関)が設置されたりしています。

つまりタタールスタンはロシアから独立することは諦めましたがロシアの中で影響力を持つ地域として歩むことを決めました、経済的に発展し多くの人口を抱えているにもかかわらずこうなった大きな理由としては他国と国境を接してなかったことやロシア民族が多く居住していること、域外に自分たちと同じ民族が多く居住していることが挙げられるでしょう。ではもしこうした障害がなく住民の独立心が高かったらどうなるでしょうか?最後に本気でロシアからの独立を目指した地域を紹介しようと思います。

チェチェン共和国

最後に紹介するのがこのチェチェン共和国です

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(チェチェン共和国の位置と国旗)

チェチェンはかつてロシアから独立しようとした地域でそれを阻止しようとしたロシアとの間に2度に渡るチェチェン紛争と呼ばれる大規模な戦争が発生した場所です、ここに至るまでの経緯や戦争について書くとそれだけでこの記事もう一本分くらいの量になるので簡単な紹介だけにとどめますが。簡単に言うとロシア帝国1860年代に編入されてからもずっと抵抗し続けた地域でそのためにスターリン時代そこを警戒されてシベリアや中央アジアへの強制移住が行われチェチェン人の4割が死ぬような弾圧を受け、その後も現地で豊富に取れる石油の富を全て奪っていくロシアに不満が高まったことからソ連崩壊寸前に独立を宣言しそれに反対するロシアがチェチェンに軍事介入、一旦和平が結ばれるものの独立強硬派がテロ行為を行い当時首相に就任したばかりのプーチンが政権基盤を固めるために大規模な軍事介入を再び行いチェチェン人の4分の1が亡くなるほどの激しい争いを経て鎮圧したと言う流れです。

さてそんなチェチェンですが面積は1万5千㎢と四国よりも小さい国ですが人口は110万人と人口密度はこれまでで一番高いです、そして住民の95%が基幹民族であるチェチェンでロシア民族は2%しかないと言うロシアにしては珍しい地域です。こうなったのは言うまでもなくチェチェン紛争の影響です、ソ連崩壊前の1984年の調査ではチェチェン共和国の前身であるチェチェン・イングーシ共和国では150万の人口の内3分の2がチェチェン人で残り50万人の内イングーシ人とロシア人が半分を占めていました。

このイングーシ人というのは民族的にはチェチェン人と全く同じですがロシア帝国に抵抗せず早くから恭順したグループをロシアが区別し分離させ成立した人々です、なのでロシアからの分離独立には反対の立場をとっていてチェチェン人と対立していましたがチェチェンから分離独立することで双方が合意しチェチェン・イングーシ共和国はイングーシ共和国とチェチェン共和国に分裂しました。この結果イングーシ人はチェチェンから消えその後のチェチェン紛争でロシア人がチェチェンから避難しこのような民族構成となったと言うわけです。

そんなチェチェンですが近年は経済発展がめざましい地域です、というのもロシア中央政府が相当大規模な経済支援をしているからです。ロシアは2回のチェチェン紛争を経てこの地域を力ずくで押さえつけ続けることは困難であると感じました、なので大量の補助金を与えることで経済支援を行い発展させることで懐柔しようと目論んでいるのですそしてチェチェンは紛争によって壊滅的な被害を受けたためロシアの補助金なしには成り立たない状況です。またロシアの懐柔はそれに留まらずチェチェンの指導者にも及んでいます、今のチェチェン共和国の指導者はラムザン・カディロフという人物なのですが

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(ラムザン・カディロフ)

彼の父であり彼の前の代のチェチェン共和国の指導者であったアフマド・カディロフは実は第一次チェチェン紛争の時の独立派チェチェン人のリーダーの一角だったのです。ですが停戦後アフマド・カディロフチェチェン人内での政治争いに負けチェチェン独立派の政権から追い出されてしまいます。そしてそこに目をつけたのがプーチンです、彼はチェチェン人を外部であるロシアが抑えつけることは困難だと考えチェチェン人の一部をロシアに寝返らせ統治した方がいいと考えていました。そこで政権を追われたかつての指導者に手を貸したというわけです、こうしてカディロフ親子はチェチェンの支配者となりました、彼らはロシアから独立をしないので有ればチェチェンで何をしてもいいことになってます。

大量の補助金とカディロフ親子の擁立、この2つでチェチェン共和国は今のところロシアからの独立を目指さない方向でいるのです。

ロシアから独立するのはどこか?

さてここまでロシアから独立宣言したことのある地域を紹介しましたが、この中で果たして独立する地域はあるのでしょうか?今のところ独立する気のある地域は無さそうです、どの共和国も主に経済的な事情と安全保障上の理由から独立を躊躇しています。実際今回の「特別軍事作戦」でもサハ共和国タタールスタン共和国の大統領は侵攻が始まってから3日以内にプーチンを支持する声明を出していますしチェチェン共和国のカディロフに至っては自分の私兵であるカディロフツィをウクライナに派遣しています。

とはいえ今後どうなるかは不透明です、経済的な事情で独立を躊躇しているということは逆に言えばロシアに留まる経済的なメリットがなくなったら独立への機運が高まるということだからです。サハ共和国は今回の経済制裁で天然資源が売れなくなりますし、タタールスタン共和国経済制裁でロシアの巻き添えを食らって苦しくなります。そうなるとロシアを抜け出して制裁逃れをしたいと考えるかもしれません、またトゥヴァ共和国は今回の経済規模が小さくて大きな影響は受けないでしょうがそれでも苦しくはなるでしょうしそんな状況で中国が経済支援を申し出たらロシアにいる意味がなくなるでしょう。チェチェン共和国の場合は補助金を減額されたり打ち切られたりするかもしれませんがそうなったらカディロフは間違いなく反乱を企てるでしょう、実際彼は以前チェチェン以外の地域の警察官がチェチェンに侵入した場合射殺するように命じたりしてるなど中央政府への忠誠心はないに等しく金で繋がってるだけだからです。

どっちにしろロシアは経済的な力と軍事力でこれらの国を留めているだけなので経済が悪化し軍事力が低下すればソ連崩壊時のように一部の共和国が独立しようとする可能性も0ではないと言えるでしょう、それでは今回はここまでまた次回。