しば塾の世界史日記

世界史についていろいろ書いていこうと思います。

サッカーがきっかけで起こった戦争

戦争というのは意外なことがきっかけで起こることがあるので油断することはできません。実際スポーツで対立する国の選手同士が戦うと下手すると両国の外交関係に影響を与える場合があり実際それで戦争になった例があります。という訳で今回はサッカーの試合がきっかけで起こった戦争を紹介しようと思います。

サッカー戦争

サッカーの試合がきっかけで起こった戦争は実際にあり、そのままサッカー戦争と呼ばれています。この戦争で戦った国は中米にあるエルサルバドルホンジュラスという国です、

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もちろん単にサッカーの試合だけが原因で戦争になるわけがなく両国の長年に渡る外交、貿易、移民上での対立及び両国の国内情勢が主たる要因ですが戦争直前に行われたFIFAワールドカップの予選が両国の対立を激化させ戦争を煽るきっかけとなってしまいました。なのでまずは戦争前の両国の状況について書いていきます。

戦争前の両国の状況

この戦争が起こる前のエルサルバドルホンジュラスは様々な面で対立していました、まず両国は国境を巡って争っていました。なぜなら両国の国境は山や河川を基準に定められていましたが、問題はこの河川が熱帯雨林気候にはよくあることですが雨季と乾季で流れが変わってしまうため不明瞭であったからです。なので両国はこの不明瞭な国境線のせいで対立をしていてしばしば衝突をしていました。

次に対立をしていたのは貿易問題です、エルサルバドルは当時工業化が進んでいたのに対しホンジュラスは工業化が進んでいませんでした。そんな中両国を含む中米は当時アメリカの働きかけで域内自由貿易協定を結んでおり、同時にエルサルバドルは後述する様に国内の貧富の差が大きく国内市場が貧弱だったことからホンジュラスに積極的に工業製品を輸出していました。工業化の進んでないホンジュラスに大量のエルサルバドル製品が輸出されるとどうなるかは火を見るよりも明らかですが、案の定ホンジュラスの工業は打撃を受けました。そしてその結果ホンジュラスエルサルバドルに対し不快感を抱くことになってしまいます。

そして両国が最も対立していたのは移民問題です、地図を見れば分かりますがエルサルバドルホンジュラスと比べると国土が圧倒的に小さいです、しかし人口で見た場合国土の割にエルサルバドルは人口が多く実際人口密度で見るとエルサルバドル中南米一人口密度が高い国でした。更にエルサルバドルは貧富の差が非常に大きい国でした、国の富のほとんどは14家族と呼ばれる財閥に集中していて彼らは国土の多くを所有していました。結果エルサルバドルの国民の多くは生活のためホンジュラスに移民していてその数は30万人から60万人にも及んだと言われています、ちなみに当時のホンジュラスの人口は250万人だったのでいかに多くの移民が来たかがわかるでしょう。とはいえホンジュラス政府は当初このエルサルバドルから来た移民を歓迎していました、なぜなら彼らは国境近くの未開の地を開拓してくれることやホンジュラスの主要産業であるバナナ農業の労働力となったからです。しかし時代が経つにつれバナナ農業は機械化で人手が要らなくなり、土地はホンジュラスでも人口増加で不足し始めたので移民が邪魔になりました。なので戦争前にはこの大量の移民を巡って両国は対立していました、そして両国が上記の3つの問題から国境近くで小競り合いが始まっていた頃ワールドカップの予選が開催され両国は試合でぶつかることになりました。

ワールドカップ予選

1969年6月8日ワールドカップ北中米予選準決勝で両国はぶつかることとなります、この試合の直前ホンジュラスエルサルバドル移民の強制退去を始め2万人にも及ぶエルサルバドル移民が家を失って母国に引き揚げていました。そんな中第一試合はホンジュラスの首都テグシガルパで行われホンジュラスが1-0で勝利します、ただしこの時ホンジュラス側のサポーターがエルサルバドル選手の泊まるホテル前で騒音を鳴り響かせるなどの妨害行為を行なったので純粋な勝利とは言い切れませんがこうした妨害行為は中南米では国民感情に関わらずよくあることなのでこの時点ではまだ平和に進んでいました。しかしこの試合の後いよいよ両国は戦争へと進んでいきます。

第一試合の敗北を受けてエルサルバドルでは18才のある一人の少女がこれを理由に自殺をしてしまいました、当時このことはかなりセンセーショナルに報じられ彼女の葬式には大統領や大臣なども出てテレビで全国中継されるほどの騒ぎになりました。そんな中6月15日第二試合はエルサルバドルの首都サンサルバドルで行われることになりました、なんだか嫌な予感がしますが実際とんでもない事態になりました。半ば暴徒と化した群衆はホンジュラス代表の泊まるホテルに押し掛けると自殺した少女の肖像画を掲げながら罵声を浴びせ、石を投げ、割れた窓から腐った卵やネズミの死骸を投げ入れました。幸いエルサルバドル武装隊が護衛していたので選手たちに直接危害は加えられませんでしたがホンジュラスのサポーターはこの限りでなく集団暴行による死者が2名出ましたし150台のホンジュラスサポーターの車が放火されてしまいました、試合は3-0でエルサルバドルが勝ったものの両国の国民感情は一気に悪化してしまいます。そして勝敗数が並んだため第三試合が行われることとなりました。

第三試合は6月27日に中立国のメキシコの首都であるメキシコシティで行われました。試合はメキシコによるかなり厳重な警備のもと行われましたまずスタジアムの収容人数を10万人から2万人に減らし、両国のサポーターは入り口から席に至るまで完全に徹底的に分離し両者の席の間には催涙弾を装備した重武装警官を配備しました。この徹底した対策で試合自体は平穏に進み試合結果は3-2でエルサルバドルが勝利しましたが、この試合の裏では不穏なことが続いていました。ホンジュラスでは第二試合の敗北の後からエルサルバドル移民への襲撃事件が増えエルサルバドルはこれを非難し国家非常事態宣言を発令し総動員を開始、そして第三試合が行われた6月27日に断交を宣言しこれを受けてホンジュラスも国防上の備えをすると発表し7月に入ると小規模な戦争が始まりついに全面戦争に至ります。

サッカー戦争

そして7月14日エルサルバドル側の奇襲攻撃から全面戦争が始まりました、当時のホンジュラスエルサルバドルの軍事を比べると空軍力ではホンジュラス側はエルサルバドルの2.5倍もの航空機を持つなど圧倒していたものの、陸軍力ではエルサルバドルと人数が変わらない上練度や組織力ではむしろエルサルバドルの方が勝っていました。なのでエルサルバドルとしては奇襲攻撃を仕掛けることで空軍力の差を無くそうとしたわけです、そして奇襲作戦は上手くいきましたが予想より大した成果をあげられずホンジュラス空軍の報復でエルサルバドルは本国にある石油タンクを攻撃され3分の1を破壊されてしまいます。とはいえ戦争自体はエルサルバドル優勢に進み、各地で快進撃を始めていました。ですが開戦から1日ほどで空爆の影響で石油が不足し始めホンジュラス側も徹底交戦に出たので戦線は膠着してしまいました、こうして事情もあり国際連合が仲介に乗り出しますがエルサルバドル側は停戦に応じようとし、ホンジュラスにいるエルサルバドル移民に対する迫害行為を即座に停止させることを条件に停戦しようとしました。しかし侵略されて怒り心頭にのホンジュラスはこれに応じず北部から迂回してエルサルバドルに攻め込もうとしエルサルバドルはこれを受けて攻勢を開始するなどかなり大規模な争いになってしまいました。

ですが7月18日に事態を重く見たアメリカが仲介に乗り出し両国は停戦をしました、ですがエルサルバドル側は占領地からの撤退を拒否するなどかなり強硬な態度に出てそればかりかホンジュラス領内にある最前線を大統領が訪問するなどの挑発行為にでました。これに怒ったホンジュラス軍は大統領を狙撃し幸い怪我はなかったものの両国は緊張状態になってしまいます、ですがアメリカが両国に圧力をかけたことでエルサルバドルは撤退を始めホンジュラスエルサルバドルは8月3日に正式に戦争を終えました。この戦争による犠牲者は2千人から6千人、負傷者は4千人から1万2千人に及び国境沿いに済む多くの農民が家を失いました、犠牲者はほとんどがホンジュラス側であったのでこの戦争はエルサルバドルの勝利と言えるでしょう。サッカーの試合でも戦争でも勝ったエルサルバドルは大いに沸き立ちますがここからエルサルバドルは戦争は単に勝つだけでは意味がないということを表す事態に見舞われます。

戦後の両国、戦争は勝てばいいわけじゃない

戦争に勝利したエルサルバドルは熱狂状態になりました、ですがすぐにそれを忘れるような事態に直面します。まずホンジュラスにいた大量のエルサルバドル移民が追放されて母国に引き揚げてしまったことでただでさえ不景気気味だったエルサルバドルの経済は一気に悪化してしまいます、またエルサルバドルの主要な輸出品であった工業製品も戦争の影響で主要な市場であったホンジュラス市場から完全に閉め出されてしまい大打撃を受けました。この結果エルサルバドルではますます14家族のみに富が集中する事態となってしまい、彼らが贅沢な暮らしをする一方で国民の6割以上が貧困状態になってしまいました。それを受けて国内では左翼ゲリラがテロ活動を始め、それに対抗する右翼勢力がアメリカの支援の下反撃に出て一気に政情が不安定化してしまいました。そして1980年サッカー戦争による勝利から10年後、ついに大規模な内戦が発生します。この内戦は12年にも渡って続き犠牲者は7万5千人に及び内戦による破壊の結果エルサルバドルは一気に衰退してしまいました。

一方で戦争に負けたホンジュラスは大分事情が違います、戦争の結果ホンジュラス国民は団結しまたエルサルバドルの工業製品や移民を締め出したことで経済は多少良くなりました。結果隣国のエルサルバドルが内戦を繰り広げている間ホンジュラスは平和なままであり、政治的には極めて安定した状態でした。エルサルバドルホンジュラスも今では西半球で最も貧しい国であり治安は非常に悪いですが、かつてエルサルバドルは中米一の工業国であり治安も良かったのを考えると確実にサッカー戦争のせいで没落したと言えるでしょう。

ここから分かるのは戦争とはあくまで外交上の一つの手段であり、戦争に勝つこと事態にはなんの意味もないということです。両国ともサッカーの試合による国民感情に煽られて戦争を始めましたがエルサルバドル側は戦争に勝ったにも関わらず国境問題の解決はおろかホンジュラスに自国からの移民を追放しないという最大の目的を達成できませんでした。一方でホンジュラス側は戦争にこそ負けたものの不利な国境とならなかったばかりかエルサルバドル移民の追放に成功しそればかりかエルサルバドルの工業製品の締め出しにも成功しています、ホンジュラスは負けたにも関わらず戦争前の目的を全て達成できているのが分かるでしょう。戦争というのは何も考えないで始めてはいけないものですし、戦闘に勝つだけでなくちゃんとゴールを決めてそれを達成しないといけない、このことをサッカー戦争は良く示しています。

政治とスポーツ

同時にサッカー戦争からは政治とスポーツの関係について議論する際のいい例だと思います、この戦争は元々あった両国の対立がサッカーの試合つまりスポーツによって激化したため起こった戦争であるからです。政治とスポーツは今や密接に繋がってしまい今回の北京オリンピックではアメリカなどが人権問題を理由に外交ボイコットを行い、中国がスポーツの政治利用と批判していますが一方でその中国も聖火リレーウイグル人を使ったり一昨年の中印間の国境紛争で活躍した「英雄」をやはり聖火リレーに起用し更にオリンピックを利用して関係が深い国との友好関係を深めようとあからさまな政治利用をしています、しかしながらこれはある意味しょうがないものです。

政治とスポーツが密接に結びついてしまったのはスポーツを政治利用する政治家の責任でもあり、それを許したIOCなどの開催側の問題でもあり、それを煽ったマスコミの問題でもあり、それを受け入れた観客の問題でもあります。元々オリンピックなど国を超えたスポーツの試合は国と関係なく青年などがスポーツを通じて交流する場として設けられました、しかし時代が経つにつれて政治家は自国民の選手の活躍を誉めることで国民の団結を促し支持率を上げようとし、マスコミは商業的な理由からやはり自国の選手の活躍を煽り立てるような報道をし、IOCなどの主催者側はそうした方が盛り上がり収益が得られるからとこれらの事態を黙認し、我々観客はただ流されるままに自国の選手を応援し続けました。

私を含め皆さんの多くは日本と他の国の選手あるいは団体が戦った場合おそらく日本の方を応援するあるいはした経験が一度はあるでしょう。しかしそもそもこうしたスポーツというのは選手自身が活躍するものであり彼らがどこの国に所属しているかなんて本当は全く関係ないですし、ましてや国別にメダルの獲得数を争うことや良い成績を残した人をまるで国家の英雄のように扱うなんていうのは甚だおかしいことなのです。選手がいい結果を残したのはその選手が努力し周りの者が支えたからでありそこに国家の存在は本来ないのです、なので良い成績を残した選手単体を表彰するのが正しいはずですが残念ながら今や政治とスポーツは密接なものとなりある選手を表彰する際に同時にその選手が所属している国家ではナショナリズムの高揚に意図してかしらずか利用されています。

この空気はまるで本当に戦争を行なっているかのようで実際皆さんの中にも日本人選手を応援しないことを疑問に思う、あるいは応援しない人を軽く軽蔑したり奇異の目で見る人だっているでしょうがそれこそ戦時中のいわゆる非国民を見る目と同じような雰囲気です。なので自国の選手だからという理由だけで応援する人はある意味戦争になった際に賛成するような人である素質を持っているわけですが、まあかく言う私もどちらかと言うとそっち側の人ですしここには何も良いとか悪いとかはありません。

しかし恐ろしいのはスポーツで高まったナショナリズムが実際に外交の場で使われることです、サッカー戦争に限らず中南米ではサッカーの試合結果が引き金となって断交した例はいくつもありますしこれほどじゃなくても外交関係に影響を与えたスポーツの試合はあります。そしてサッカー戦争はその究極の形でありスポーツの政治利用に対する最大の警鐘となるでしょう、スポーツ結果が国家同士の対立を深め戦争の引き金になるこれほどスポーツを冒涜することはないですしこれほどくだらない戦争の始まり方はありません。ですが実際歴史上サッカー戦争という形でこうした事態はひき起こりました、そして一度実際に起こったと言う言うことは今後も同様のことが起こる可能性があると言うことでもあります。

ですが残念なことに政治家は今後もスポーツを政治利用するでしょうし、マスコミはスポーツに関連してナショナリズムを煽り立てる報道をするし、IOCFIFAなどの主催者側はそれを黙認するし、我々観客はそれを何も考えずにただ熱狂するでしょう。私ができるのは二度とサッカー戦争のようなことが起こらない様ただ祈るのみです。

このサッカー戦争は実に50年前の戦争でありながら戦争は外交上の手段に過ぎないことであることと、スポーツと政治に関することで非常に大きな意義を持つ戦争であるので個人的にもっと有名になってほしくて書きました。それでは今回はここまでです、また次回お会いしましょう。